判断の行方 2025.3.23【essay 665字】
先日、私は知らないオタクに上がり込み、グランドピアノのある居間のソファーで、贅沢にもジャズの生演奏を聴いていた。それもプロのジャズミュージシャンらの演奏だ。さらに私が好きなビバップを愛する(ピアニストのプロフィールにそう書いてあった)ピアニストが中心のセッションだ。
そう、セッションだったのだ。思い出してみるとチラシには確かにそう書いてあった。数日前このピアニストの演奏を聴きたいと思ってWebで検索していたらたまたま身近なところでのライブ告知を見つけ告知の文言に少し疑問を持ちながらも普通のライブと勝手に理解した。少し道に迷ったが会場である住宅街の一軒家を見つけた。
ここで? と思ったが、その日はいつもの自分より解放されていたのか積極的な判断に至った。そして一軒家のドアを開けた。「ごめんください」と声を張り上げると奥の部屋から女性が出てきて「いらっしゃいませ、どうぞお上がりになってください」と言ってくれたが、少し疑問が残ったままの私は構えてしまって「え〜と、ライブ会場ですよね」と尋ねると、 観客なしで集うSNS繋がりのセッションということだった。私は楽器を持っていなかったが、セッションに参加するピアノ弾きだと思ったかもしれない。女性は私の誤解を理解したが、よかったら聴いて行ってくださいと言ってくれたのでお邪魔した。
全くの付き合いもなかったお宅の居間で、ジャズの生演奏を聴くことになるとは……。不思議な出会いだ。勘違いも思わぬ体験をさせてくれる。緊張感はずっとあったが、やさしく接してくれた女性に感謝した。
動物園のカバ 2025.3.15【essay 1155字】
カバに逢いたくなって、関東圏内のカバのいる動物園を探す。東武動物公園に愛媛県のとべ動物園から来た、カバのまんぷく君というもうすぐ4歳になる男の子がいて人気者だそうだ。ということで東武動物公園に行くことにした。カバは動きがのんびりしているイメージだが、まんぷく君はまだまだ若く好奇心旺盛できっとよく動き元気に遊んでいるのだろう。
さて動物園に着き、園内をかなり奥へと進み、やっとカバの展示施設にたどり着いた。あまり意識していなかったが、動物園では人間が見学できる場所に出てきている動物のことを「展示」されているというのか。そいえばそうなんだろうけど改めてその扱いを認識させられる。
カバ施設の柵に括り付けてある看板には、2頭のカバの写真がある。それぞれのプロフィールが紹介されていて、本日の展示が矢印で示されていたのは、まんぷく君ではなく、おばあちゃんカバのマイちゃん。まんぷく君はお休みの日だった。マイちゃんは、高齢でゆっくりゆっくり動く。第一印象は、カラダもそうだけど頭がそうとう重そうだと同情してしまう。重そうな頭を地面に置くようにくっつけ、うなだれていた。
マイちゃんは42歳。調べたらカバの寿命は飼育下で40〜50歳ということだからマイちゃんはかなりの高齢者だ。そうしたらこれから4歳になるまんぷく君の印象は相当違うだろう。気になるので、まんぷく君が見られる曜日にもう一度ここに来なくてはならない。
柵内のマイちゃんを見学しながら、マイちゃんのこれから、まんぷく君に会えなかった落胆、これからの自分の人生など色々なことが頭の中を巡っていた。しかし一方では殆ど動かないマイちゃんのおしりの尻尾も十分観察でき、その写真もスマホに収めて、のほほんとした気分でもあった。気がつくと私の周りの数人の見物客も皆、のほほんとしているように見えた。
そんな時、「グゴーッ グッガァーン」と像の鳴き声のような大きな音が近くでした。びっくりして斜め左前を見ると20代位の女子が思いっきり鼻をかんでいたのだ。その「グゴーッ グッガァーン」は2、3度で終わらず少なくとも10回は続いた。自分を含め周りの人達は、半分寝ているようなマイちゃんのすぐそばでもあるし動揺したが「女子の鼻かみ」が終わるまで、カバにも人間にも気を遣い、ずっとその状況に対して騒ぎ立てず、しらんぷりを決めていた。
久々の動物園にて、一番びっくりしたのが人間の「鼻かみ」だったという思い出。
なお、まんぷく君が見られるのは土日火木。ああ、今度来る時は100円玉を5つは用意してカバのカプセルガチャも買いたい(園内で両替もできるが)。追記にホワイトタイガーの赤ちゃんが産まれ、今一番人気者になっているようだ。並んで見るのは苦手なのでやめておいた。
ジャンパー 2025.3.3【essay 387字】
2月の祝日、やっと入店出来た目当てのジャズ喫茶。この数ヶ月、店を覗いても満席で入れない日がよくあった。
店内のテーブルに落ち着く。外の風が強かったので、暫く上着のダウンを脱がなかった。そのままじっとジャズを聴いていたら、むかし父が寒い冬、仕事から帰って茶の間のテーブルの前に座りタバコを燻らせながらじっとしていたのを思い出した。今思えば、仕事を終えた男がやっとバーのカウンターに辿り着いたという感じだ。上着のジャンパーはしばらく着たまま。
小学生に上がったぐらいの私はその父の姿をじっと見ていた。当時、父の仕事はある私鉄保線区の線路坑夫だった。長い期間続けていたので、夏に焼けた肌は、冬になっても殆どそのままだった。ニコリともしない黒光りした父の顔。
私はある日、父に聞いた。
「とうちゃん、なんでジャンパー脱がないの?」
「うぅん? 面倒くせえから」
と苦笑いした。
一献 2025.2.10【essay 697字】
何年も前のこと。亡くなった勤務先の上司から「仕事が安定しているね」と言われた。
といっても直接でなく同僚からそう言っていると聞かされた。その真意は分からない。素直に好意的な言葉として受け取れなかったのには理由があった。
上司と一緒に働いている頃、理不尽なことをよく云うなぁと思ったり、仕事で何度かぶつかりもした。 決して良好な関係ではなかったように思っていたからだ。
それに、その上司は以前私の仕事に、ものたりなさを感じているような事も言っていたと聞かされていたので「仕事が安定しているね」という言葉は以外だった。 どちらも直接言われたことではないので特に気にすることはないのだが、心の底で少し引っかかっていた。
普段、私の心情としては色々なことがあっても仕事や生活のリズムはあまり崩さぬよう淡々とした毎日を送りたいと思っているので、 上司のその評価は徐々に素直に受け入れられるようになった。
上司が病気になり仕事をする体力もなくなり仕事場への出社もままならなくなって家で療養している間、届ける書類があったので上司宅に行ったことがある。
その日、上司は体調も気分もいつもより良かったようだ。 もう退社時間も迫っていたこともあり「ビールでも飲んでいく?」と言ってくれた。私は慌てて用事があるのでと断り帰ってきてしまった。
私が酒を飲めるのを知っていた上司は、他の社員で呑む人が殆ど居なかったこともあって、 私が入社した頃には幾度か居酒屋などに誘ってくれ、一緒に飲んだ。
書類を届けた日、上司は全く飲めないか飲んでもビールをコップ一杯ぐらいだろう。
「では、一献」と言えばよかった。
姪孫✖️大叔母 2025.1.28【essay 895字】
先日姉の家に行ったところ姪の2人の子供達も来ていて、末の男の子(小学2年生位)が、私にボードゲーム(オセロ)を一局どうかと言ってきた。
私は、今までボードゲームには興味がなく、打った記憶もない。例えば将棋の対局中継の解説など観てもまるでわからない。なので彼にオセロはわからないと断った。それでも彼は嫌な顔はせず(良い子だ)あっそうかという感じで、その部屋に居た彼のお爺さん(私の義理の兄)のところへ行きオセロ、続けて将棋をして遊んだ。
そして私は嘆く。年に何度も会わず性格もよくわからないでだろう大叔母の私に声をかけてくれた。それに応えられず情けないなぁという気持ちがじわじわ湧いて来た。
その日、私は家に帰っても彼からのオセロゲームの誘いを断ったことが頭から離れなかった。基本的には人それぞれで、子供でも大人でも興味なければやらないのは何ら問題ない。
私は普段あまり子供に好かれない、あまり子供が寄って来ない。だからといって、自分から子供の機嫌を取るようなことはしない。子供が嫌いなわけではない。
しかし得体の知れない私に声をかけてくれた姪孫の彼。一緒にゲームできれば彼とコミュニケーションできるチャンスだったのにと悔やむ。
そうしたら無性にオセロが覚えたくなってオセロとは? オセロのルールとはなどWebで本屋でパラパラと調べ始める。オセロは白か黒、自分に与えられた色を増やして陣地を広く取っていく。将棋は王将を詰めにいく。かなり大雑把に言うと、こうなのかと。私は自分の陣地を拡げるオセロより王将一点に絞って突き進む方がまだ良いなと思ったが、オセロも将棋も自分の打てる場所をどう残して行くかということでは同じかな? それには先が読めなければダメだ。老化防止にも良いな。これが一度も対局したことがない私の頼りない感想だ。
人間は不思議だ。何年も全く興味を示さなかったことでもちょっとしたきっかけで、夢中になったりする。そういうものは、どこから飛んでくるか予想もつかない、わからない。
さて、彼との対局が待ち遠しい……あっ、これは遊び遊び!熱くなるな!と自分に言い聞かせる。
カバの思い出・想い 2025.1.20【essay 1558字】
そういえば最近「自分はカバが好きだった」ということを忘れかけていた。自分とは違う世界で生きている動物なので怖さもあるし、寄って行って撫でて抱きしめてということではなく、少し距離を置いて眺め、その造形から私はなぜカバを愛おしいと思い、カバに惹きつけられるのかということを考え想い続けて……いたはずなんだがその想いもいつのまにか薄れていた。加齢かしら。
そんな矢先に2025.1月2 日、毎日新聞のある記事でカバへの想いが再び動き出した。─坪内稔典 「バカにされるのも大事」俳人・坪内稔典さんがカバを愛する理由 ─というタイトルの記事だ。80歳の俳人で国文学者の坪内稔典さんはかなりの河馬(かば)好きで、カバに魅せられて約70年という。
桜散るあなたも河馬(かば)になりなさい
という、スッコーンと抜けた空のような、爽快カバ俳句も紹介されていた。
愛媛県生まれの稔典さんは小学生の頃、「カバヤキャラメル」キャラクターの「カバの形をした宣伝カーが村に来て、追い掛け回していた。それが最初に見たカバだそうだ?! 当時、カバヤキャラメルの箱に入ったカード(おまけとして入っていた文庫券)を集めて送ると、好きな世界の児童文庫と交換できた(「カバヤ児童文庫」)。それから夢中になって本を読むようになった。
ウィキペディアによると「カバヤ児童文庫」は1952年から1954年にかけて展開されていた。因みに第1巻は『シンデレラひめ』だった。
カバ好きに出会えた! と心の中で叫んだ。
そしてカバ繋がりの思い出がふっと頭に浮かんだ。20代の頃少しのあいだ勤めていた会社で女性の先輩が自分の夫のことを「(うちの)カバちゃん」と呼んでいた。 私にとってカバといえばあの動物のカバしか頭に浮かばない。カバによく似た旦那様なのかと思った。 しかしいくらカバに似ているからカバちゃんなんて呼ばれていた旦那様の心中を思いやったが、それは余計な心配だろう。 夫婦のことはあかの他人には全くわからないと幾度となく頬を殴られるように思い知ったのでこれ以上言及すまいと決めた。
そしてある日その呼び名の由来が明らかになった。先輩の旦那様はカバヤマという苗字なので通称カバちゃんという実になんとも普通の(納得のいく)呼び名だった……待てよ!ということは先輩の苗字も夫婦別姓でない限りカバヤマ? そうか……そうだったのか。私が先輩の苗字を知るまでにこんなにも段階を踏まなければならなかったなんてと嘆いた。という思い出である。
そんな時も同じ頃、ひとりでアパートを借り始めていた。会社の2、3人で1部屋を使う寮に入っていたので憧れのひとり暮らしにやっとなれたと喜んだ。しかし1年2年と経つうちに仕事を終えアパートに戻った時、猫とか犬とか居ると良いなと思ったが、動物を飼えるアパートではない。ましてカバなんか飼えるはずもない。結局アパートで動物を飼うのを諦めていた矢先、街のぬいぐるみ屋さんで自分のアパートの狭い玄関でも鎮座出来そうなしっかりした縫製の愛らしいカバのぬいぐるみを見つけ、これを玄関に置きたい。外から帰って来てこのカバに「ただいま!」と言いたい。 と強く思ったがそのぬいぐるみの値段は3万とか4万で、若くて安月給の私にはちょっと買いづらいので断念した。部屋を物で装飾したりぬいぐるみをたくさん置いたりというのは好きではないがそのカバの一体だけは置いても良いなと思った。その後、時々そのカバを思い出し、ぬいぐるみが置いてある店を見つけると入って店内を見渡すが、あのカバは見つからない。
私は半ば諦めた。しかし最近、あのカバと多少違っても良いから縫いぐるみを家に置きたいという気持ちになって来ている。
誰にもカバ好きを公言しないまま私のカバ物語はつづく。
旅先のbarで 2025.1.14【essay 1464字】
元日の昼過ぎ、ある地方都市の駅に隣接するショッピングモール内にあるbarカウンターにいた。酒屋が経営するbar だ。
私にとっての昼食。ショッピングモール内にはレストランもいくつかあったが、何しろ量が多かったり味が濃かったりは困る。もちろん勝手な想像だ。実際幾度もそんな体験をしているから入ったことのない店には中々入店する勇気がない。それに周りが賑やかそうだ。それでbarに落ち着いた。
ゆっくりと生ビールを飲みながら、簡単なオードブルとポテトサラダ。十分だ。 正月で多少混んでいてbarスタッフも忙しそう。と言ってもテーブルもカウンターも空きはある。
カウンターに案内される前の時間帯に戻るが、混雑時のbarにひとり入店する場合、1人ならなんとか入れてくれるんじゃないかと期待するのだ。
今日はいっぱいでメニューも少ないので早仕舞いすると、一度入り口で断られたのだが、カウンター空いているなあと思いながら肩を落とし店の入口にあったメニューのポップなど見て帰るのを躊躇していたら店長らしき男性が寄ってきて「セットでしたら出来ますよ」と言った。私は笑みを浮かべ「いいです、いいです! それで良いです」と生き返ったように返事をした。
その店長が注文を取りに来て少しすまなげに「今日はちょっとスタッフが少ないので……すいません」と。 「いえいえ、少し飲めれば十分です」と生ビールとオードブルのセットを注文した。
そうか、そうですよね。交代で正月休みを取るにしても元日は休みたいと思うのも分かります。
そして舌の根も乾かぬうちに、セットメニューで十分でもなくなった私は店長ではないスタッフを捕まえてポテトサラダを追加注文した。
追加した直後に離れたところにいた店長と目があったが笑って誤魔化す。店長も笑っていた。barには1時間弱居て席を立ち会計カウンターに向かった。
心のどこかで明日の昼もここで良いやと思った私は明日の開店時間を確かめ店を出た。
翌日11時半ごろ前日と同じbarに再入店。時間も早いせいか、さほど混んでいない。店主に挨拶。
「また来ましたね」って感じかな。
はい、宜しく。
昨日と同じ生ビールにオードブルのセットを注文。ここの生ビールは美味しい。ハートランドの生だ。
軽いおつまみ程度のオードブルなのでもう一品「ガーリックポテト」というのを注文。昨日といい今日といいポテトに目が行く。
旅の最後にゆったりとした時間を過ごす。
さてと帰りの列車の時間も迫ってきたので伝票を持って会計へ。
昨日より少し余裕も見受けられる店長が来て伝票処理をする。そしてこう言う。
「三が日は11時オープンですが普段は午後2時からなんです。また宜しくお願いします」と。
私は、旅行者で滅多にこの街には来られないけど快く、
「わかりました、また来ます」と返事をし駅に向かった。
そして駅に向かったのは良いが今さっき出て来たショッピングモール内のお土産屋さんにモールを出る時買おうとしていたものを買い忘れ慌てて戻った。 お土産屋のすぐ隣が先程入ったbarで、モール内で店ごとに簡単な仕切りはあるものの土産屋、bar双方から店内が見える。 barの店長に顔を見られやしないか心中穏やかではなかった。マコトニバツガワルイ。
あぁ、旅をbarで締めくくり駅に向かったつもりだがこのオチである。急いで買い物を済ませ早足で駅に向かう。
目的の列車には間に合い、息を切らせながら車両内角の座席に身体を沈める。
慌ただしくも気持ちは充実していた。
初対面の彼女との約束 2025.1.5【essay 1371字】
9月に受けた市の健康診断で生活習慣病予備軍とされた私は、後日の12月も半ば過ぎ、
市が開催する予備軍の人を対象とする生活習慣改善相談会に来ない?と、ハガキと電話で誘い責めされ、
最初は平日開催か「フン」という感じで取り合わなかったが、この会はどんなことをするのかと興味が徐々に湧いて来て行くことにした
(心のず〜と奥底ではブロクネタになったらいいなと期待していた)。
市役所上階の広いワンフロアで受付含め10人ぐらいの市の職員がいた。受け付けを済ませ、まず最初に案内されたテーブルに行き、 血管年齢測定器に指を突っ込み測定。向かい側のの職員が私のカルテのようなものにスラスラと数字を書いた。
そして目の前の私に「血管年齢73歳でした」ニコッ。「うわっ!」心の中で叫んだつもりが少し声が漏れてしまう。 まぁ、自分の年齢に近いっちゃ近いけど……。そして「血管年齢73歳」と書かれた紙(健康診断時の情報も書いてあるようだ)を持って立ち上がり、やや肩を落としながら次のテーブルに。
案内された次のテーブルには40代位の職員の方が私を待っていた。物腰が柔らかく健康そうな女性だ。 話しやすいタイプ……と思う。私のカルテと健康指導のパンフレットだろうか、色々テーブルに広げている。 まず直前に測定した血管年齢の数字を見て「あまり気にしなくて大丈夫ですよ」と言ってくれた。にが笑う私。
まず、血圧が少し高いという。体重も少し減らしたほうがいいとかコレステロール値も高いとか色々言う。
じゃ、これからそれらの数値を低くするために何をするべきかだ。
それで現在の私の日常生活について色々質問する。朝何時に起きるか就寝は何時か、酒は飲むか、間食はするか、野菜は摂っているか、 1日どれくらい歩くか……など。いくつもの質問に私が答え、その答えに対して指導していくというふうなことを繰り返す。
私が答え、疑問も(丁寧に)ぶつけ、彼女が指導・説明している間、言っていることは相槌を打ちながら真剣に聞いてはいるが、 彼女が喋っている間、頭の半分では彼女の日常生活を想像してしまっている。
結婚指輪をしているから結婚はしているな。子供は2人ぐらいか?。彼女はこの市の何課に属しているのだろうか?。 地元生まれか……いやいや怪しすぎやしないか私は。いや、誰しもこんな時はあるだろう。彼女に好感が持てたからということでお許しいただきたい……。
指導も終盤に突入し健康改善のために、無理せず出来そうなこと何項目かを私に提案・約束させようとする。
1─血圧を毎日測る。(これはやってみようと思っていたので、オーケーだ)
2─週に1日、禁酒する。(簡単なような気がする)
3─野菜摂取が足りないので意識して1日5皿を目標にする。(勤務先での昼食の蕎麦屋行きはやめようとは思わないので、朝と夜に今までより多めに摂る)
4─毎日なるべく歩く(通勤での駅までの早足歩行があるのでこれは変わらずだ。それにプラスαを意識する)
以上を実行し、3ヶ月後には体重が-0.5kg減になっていることが好ましい。3ヶ月後に成果が出ているか連絡をしてくるというのだ。 彼女が?……いや役所だから担当は変わるかもしれない。
そして今、正月休み中だ。改善計画も若干グチャッとなっているが仕事が始まれば大丈夫。たぶん。
師走、ある土日、ジャズと映画のメモエッセイ 2024.12.31【essay 1793字】
(12月14-15日のこと)
新宿Pit inn昼のジャズライブをのんびり聴きたい、できればピアノトリオ。と思い立ちPit innホームページを見る。
グットタイミング! 荒武ピアノトリオ。聴いたことがなかったので、youtube で調べるが最近のものがなかなか出てこない。
そして「譚歌チャンネル」に行き着いた。以前何回か観ている。毎回違うジャズミュージシャンをゲストに呼び、トーク、最後に演奏。 ピアノの荒武裕一朗氏がゲストで出演した回を観る。
あっ! これなら行ける。外出の用意を素早くして家を飛び出す。ピットイン到着。 2750円(1ドリンク付)。紅茶を受け取り後方の席にゆったりと座る。
嗚呼、やっぱり生演奏は良いな。そうそう、今日はバラードが聴きたかったのだ。
休憩時間に喉も乾きアルコール類を追加しようと思ったがやめてグレープフルーツジュースを注文。コップ一杯の水ももらう。うまい。
後半もゆったりとした時間を味わえた。演奏・休憩・演奏が55分25分55分位の感覚。家路に着く。
*
【脱線/気になっているもの】──家を飛び出す前に観た「譚歌チャンネル」司会者の1人でピアノ奏者、石井彰さんの演奏するピアニカがずっと気になっている。
演奏もだけど黒と青の鍵盤だ。調べたらわかった!これだ!HOHNER 鍵盤ハーモニカ オーシャン・メロディカ OCEAN32 BLUE-BLACK。
ドイツのメーカーらしいが、探し出したこれは本物なんだろうか、コピーか? どうなんだろう。ちょっと怪しい。
*
ぐっすり寝て日曜になる。早朝に家を出る。カフェで文を少し書いて、
前日のリラックスとは違って少し内容が重めの映画2本を観に行く。
『狂熱のふたり』と『どうすればよかったか?』を中野ポレポレ座で。
『狂熱のふたり』は、鑑賞の目的だった『どうすればよかったか?』の予約を取るため映画館のホームページに行って発見した。 奇しくも最近、作家、橋本治に興味が湧き始めていた。彼の書いた本や映像を探し回っていたのだ。この映画の出現はワクワクしかない。
『狂熱のふたり』を先に観る。文・橋本治、絵・岡田嘉夫が織りなす限定出版の超豪華本『マルメロ草紙』制作過程のドキュメンタリーだ。 2006年から8年掛けて完成した本。職業柄、本の制作過程が大体わかる私にとっては、なんともしんどい仕事だ。本作りが好きで、面白いと思えないとできない仕事。お二人ともエネルギーに満ち溢れていた。残念だが、橋本治は2019年に岡田嘉夫は2021年にこの世を去った。
本の制作ドキュメンタリーで力が入り一緒に体力を消耗したような状況のあと、少し休憩し次は『どうすればよかったか?』が待っていた。同じ席で観る。
物心も付いた小学生の頃からだろうか、何人かの友人の家に遊びに行く度にその家での友人、 家族同士の関係や家のルールなどが「自分のうちとは全然違うな」と感じたのを思い出す。 漠然とだがこの地球には家族といういくつもの小宇宙がそれぞれ独自のルールを持って暮らしている。と想像した。
『どうすればよかったか?』は統合失調症を患った姉とその家族を20年間撮り続けた弟(監督:藤野知明)の作品だ。
この映画は、SNSに流れて来て興味が湧いた。前評判がよく前の週に観たかったが予約完売で一週間遅れで予約がとれた。
私がいた家族もよそから見たら不思議に見えるかもしれないが、私が子供時代から感じた自分の家族でない他の家族の不思議を思い出し覚悟を持って観た。 「どうすればよかったか?」なんて、言おうと思えばいくらでも言えるのだろうが、 大人になればなるほど想像しても仕切れない「その家族独自の関係性が存在するんだろう」というところに行き着き、 小宇宙「家族」に向けての言葉がなかなか出て来ない。
ただ疑問は残るが、小宇宙を飛び出して解決を急ごうとしてしまいがちな私などが見ると、
この映画の家族は時に憎み合ったとしても関係を精一杯維持し、築き上げ、その先に希望も見えたのではなかろうか。そこが少し羨ましかった。
どんな決断をしても「これでよかったのか?」「どうすればよかったか?」と振り返りながら生きていくのが人間なのかもしれない。
*
橋本治は、映画の中で「ワンダーランドのような本を作りたい」と言った。
橋本治のワンダーランドをもう少し探してみるとする。
タカサキメモエッセイ 2024.12.21【essay 2469字】
今年の温泉小旅行第二弾ともいうべきか。
年末年始にゆっくりできそうな温泉を探しに群馬県高崎駅から渋川方面に。
「シブカワ」という響きがいい。
直ぐそこに師走が迫って来ている。焦る。
11月30日、土曜、日の出少し前に家を出る。
かなり寒い。
嗚呼、温泉探しはもう少し暖かい時期にすべきだった。
大宮駅に着き、駅構内パン屋のカフェで甘いパンとサンドイッチ、温かいラテ。
あちゃ、1000円少し越えた。
どこのパンカフェも最近値段が急激に上がった感がある。
切符を取った新幹線発車時刻まで3、40分しかない。実は止まる先あちこちでブログなど書きたいと目論むがなかなかうまくいかない。
ここでは食べるだけだ。
新幹線「はくたか」に乗り込む。
最近にしては珍しく窓側のE席を取った。
2人掛け用座席の隣には若いサラリーマン風の男性が座っていた。
彼はスレンダーであったが窮屈感は否めない。
私は閉所恐怖症なのだろうか。
高崎駅までたったの20分と自分を励ます。
新幹線の座席は嫌いだ。今度はグリーン車!
いや20分間のためにグリーン車というのも許し難い。
すみません! 立って乗れる場所を提供してください(いざとなったら連結で立ち乗りすると決めておく)。
「ねえ、見て! あれ富士山じゃない?」
気分もすぐれず座っていると、通路を隔てた向こう側の席から女の人の声。
私の左手車窓を指差しながら隣の男性に話かけている。
私も釣られてその先を観る。
「おぉ〜! 真っ白い富士だ」心の中で叫ぶ。天気も良かったのでくっきり堂々とした富士山が鎮座していた。
「ははっ」と力無く笑う。教えてくれてありがとう。余裕なしの自分であった。リラックス、リラックス。
高崎駅に着く。5、6年前来ていたので見慣れた風景。まず、今回一泊するホテルを確認といきたいところだが温泉地行き在来線発車時刻が迫っている。本数も少ないので直ぐに乗り込む。
jr 吾妻線で約45分、小野上温泉駅に到着。可愛い駅だ。駅から歩いて直ぐの小野上温泉 ハタの湯へ。玄関から受付へ。初めてなんですがと言うと親切にいろいろ教えてくれた。車を運転しない、バスは乗りたくないという私は、この数週間列車の駅近温泉を必死に探していた。
地元の人が多い。館内にはジャズが静かに流れ、落ち着いた雰囲気。代金は退館時に支払う。多分2時間以内のコースで十分だろう。長風呂ではないし。湯船は室内、露天ともよい。水風呂もあったがそれはちょっと遠慮した。風呂から出て館内にはソファや畳の休憩所、食堂も昼の準備をしている。しばし休憩。こういうところで1日ゆっくりしたらいいんだろうなぁと思いつつ約1時間で退館。
高崎駅へ。高崎駅プロントで軽く昼食。
作家の田中小実昌さんによく似た人が注文カウンターに居た。好きだったので懐かしい。少し書く。
今度は湘南新宿ラインで約8分大宮方面に戻り倉賀野駅へ。前から気に掛けていた土日のみ営業のjazz喫茶「蔵人」へ向かう。
10代に飲んだ記憶のある懐かしいジンジャーエールを頼む。こんなに辛かったっけ。いや昔のが甘すぎたのだ。たぶん。
スピーカー側、爆音でjazz 。徐々に慣れた。帰る頃には頭の中がスッキリ。
帰り際、お店の人と立ち話を少しして外に出た。外はかなり強い風。左手を見ると男性が居た。ピンと来た。以前雑誌で見かけた、長い間この「蔵人」を営業して来られた方だ。「こんにちは」と挨拶され、私も頭を下げ「こんにちは」と言って足は止めずそのまま通りに出た。駅に向かいながら少しお話しさせて貰えばよかったと後悔する。
高崎駅付近で夕食してからホテルに向おうと、ホテルにチェックイン少し遅れると電話。
高崎駅に着く。ホテルの場所を確かめないと落ち着かないので暗くならないうちに確認すべく街を歩く。ホテルは確認でき、近くには「シネマテーク高崎」があり嬉しい。
さて、夕食に入れそうな飲食店を探しながら街を散策。少し時間も早いのでほとんどの店が開店前だ。
飲食への自信と欲望に満ち溢れていた頃は、焼き鳥屋の暖簾など見るとワクワクしたものだが、今はこの店の味付けは濃いのか、辛めなのか、量は一人では多過ぎやしないか……など軟弱になった胃袋を気にしつつ暖簾の奥をおっかなびっくり覗き伺う。
「美味い店は路地裏にある」などと確信などない言葉が頭をよぎり、あちこちの路地に足を踏み入れ、出たりしながら街を歩きまわり駅にもどる。
イオンあり。旅先の地元スーパーは興味が湧く。お惣菜コーナーで巻き寿司、茶碗蒸し、チーズなど。 酒コーナーで芋焼酎「黒霧島」210mlカップを買い、ホテルへ。
ホテルの大浴場へ。2人の女性が脱衣場で帰り支度をしていた。まもなく私一人になる。先ず、室内の湯船に。 そして露天へ。上州のからっ風、かなり寒い。
湯船に飛び込む……ったってほんとに飛び込んだら頭を打ち、足は骨折し死ぬかもしれないので、 足場に気をつけゆっくりすばやく湯船に身体を沈める。
頭はスッキリ、身体はほっこり。なになに気持ちいいぞ。
大浴場から出ようとすると7、80代の女性がひとり入って来たので、「誰もいないのでゆっくり入れますよ」と声を掛けてから部屋に戻った。
イオンで買ってきたものを狭いテーブルに広げる。湯をポットで沸かし、黒霧のお湯割りを作り、寿司や茶碗蒸し。 テレビなど観ながら少し飲む。コップのお湯割焼酎半分も飲んだらもう十分になった。
いつもの消灯時間。寝ようとするが眠れない。部屋は狭く圧迫感がある。空気の淀みを感じる。
いつ寝たかわからないが5時半に目覚める。割とスッキリ。6時半にチェックアウトしホテルを出る。
帰りは新幹線を使わず湘南新宿ラインで帰る。
あったかいうどんか蕎麦が食べたくなり自宅近くのうどん屋に入り温まる。
下見小旅行は終わった。
道中全てが快適とは言えなかったが、小鹿野温泉 ハタの湯は時々行きたい温泉になった。
デパナナは諦め地下2階へ 2024.11.4【essay 1014字】
先日、用事を済ませた帰りに池袋西武デパート地下1階を横目に歩いていて、昼食時間も近かったので何かお弁当のようなものを買って帰ろうと入り口付近を見ると大改造中の張り紙。
そういえばそんなニュース観たなと思い出し、張り紙文面を読むと、お弁当・お惣菜、スイーツやギフト類は7階で仮営業中だった。そうか今まで地下1階にあった売り場は縮小ではあるが全て7階に移っている。同階で気軽に店内に入りサッと買って帰るということを想像していたわたしは拍子抜け。
そしてデパチカにあった売り場は、建物改造中は7階なので「デパナナ」と名付けている。いい響きだ、うまいなっ! と感心はしてみたもの7階行きエレベーター前には結構人が並んでいて、きっと7階に行っても混んでいるだろうと推測する。そうでもないかもよの確立もあるが上に行く気力はなくなった。
そこで、今まで通り地下2階で営業している鮮魚・酒類売り場にお弁当関係も多少置いてあるだろうと期待を込めて下に降りた。
おや、人があまり居ない。落ち着いた雰囲気だ。メイン売り場までの通路両脇には、豆・ナッツ・ドライフルーツ・香辛料など細々としたものが所狭しと綺麗に並んでいる。少しウキウキして来た。食べ物の陳列のセンスがいい。見ていて気持ちいいし楽しくなる。
奥のメイン売り場は、適度な買い物客でゆったりしている。一般のお客さんの中には改装中ということで、はなから諦めて他の店に行ってる人も多いのかしらん。わたしには地下2にいる買い物客はどうも一般客というより飲食店関係の人らが買いに来ているようにも見える。それともデパートの午前中はそういった現象なのだろうか……とにかくあまり知られていない地下の秘密基地に来たようなウキウキ感がある。
何か直ぐ食べられるようなお弁当類はあるかと探したが……そりゃ無いな、鮮魚売り場だもの。しかし、うな重弁当や寿司のにぎりやちらしはあって迷ったが今食べたいものではない気がして手は伸びなかった。
いつも思うがデパ地下は広くて人も多いのでクラクラしてくるがこの縮小店舗は落ち着く。人もまばらな店内をフラフラ歩き、さらに周りを見渡すと美味しそうな薩摩揚げが目に止まり、ウチにある大根と煮たら……とピンと来て、そのさつま揚げだけ買って出口に向かった。
酒量も減ったが、食べ物はいつも自分の酒の肴になりそうなものが一番最初に頭に浮かぶのだ。 デパナナは、また今度。
ビニール傘との旅 2024.10.24【essay 2367字】
日帰り温泉にでも行こうかと、休み休みもう何年も考えている気がする。だがもう待てない。今日決行する。「決行する」と強い言葉を自分に投げ掛けないと温泉には行かないのだ。いや無理やり自分を温泉に放り込もうとしているわけではない。しかし日帰り温泉行き問題が自分にとって大層なことになっている。呆れる。とにかく今日決行だ。まっ、行けばそれなりに楽しいだろう。
土曜の朝、空はどんより小雨も降っている。一人旅は、いつでも中止できる。だが決行だ。明日も休みなので何処か宿が取れれば泊まってもいいと思っている。まあ、土曜の夜にこう考えるのは浅はかかもしれないが。
小さめのバックパックに下着やタオル、その他諸々のものを詰め込んでパンパンになる。道中何かを取り出す度に苦労する自分が想像できる。
コンパクトな折りたたみ傘も常時入れてあるので小雨ならばこれで良いかと思ったが、今日の雨は濡れそうな雨なのだ。根拠はないが濡れそうな雨と感じる「雨」があるのだ。広げ幅が大してない折り畳み傘で駅までの道のり徒歩15分、足元もバックパックも濡れずに済む気がしない。
家にはもうかなり使い込んだ大きめのビニール傘がある。少し黄ばんできて穴が空いているところもある。その穴はセロテープで修繕して強い雨でない限り何ら支障なく使える。今日のような雨にはピッタリだ。
普段ビニール傘は、出先で急に降り出した雨に困ってコンビニで買ったりする。コンビニで買うといったらビニール傘だ。そしてその傘はどこかの店先で他人が持っていったり、電車の中に忘れたり、強風で簡単に飛ばされ壊れたりなど買った本人の元に長い期間止まらないのが常だ。
しかし今家にあり大きめのビニール傘はなかなか私の手から離れない。十分使い込んで骨組みも錆びて来たので、もうそろそろ燃えないゴミに出してもいいと思っているのだが、ビニール傘の中でも幅広の傘なので濡れにくい。玄関先でこのぼろビニール傘を空に向けスパッと開くとその広さに、自分を守ってくれそうな懐の深さを感じ惚れ惚れする。なかなか捨てがたい。
今回の旅の友にしよう。そう決めたのは、いくら懐の広いビニール傘とはいえ、心のどこかではもうそろそろお別れかとも思っているからだ。濡れずに済む傘だが、晴れれば折り畳めない大きな傘はどうにも持っていたくない。旅の途中で晴れたら、たとえばお世話になった温泉の受付の人に傘を処分していただけますかなどと頼むとか、駅に誰でも使用可能な傘コーナーなどあれば置いてもらおうとか……。そんなこと考えていた。
目的の温泉地は、思っていたより静かな街だった。雨はほぼ止んでいた。お昼ご飯がまだだったので駅近くの蕎麦屋に入り、そのあと時間を置かずに温泉に入る予定だったので軽く盛り蕎麦だけにした。その温泉は宿泊もできるが、今回は温泉だけ利用する。考えてみたら長い間生きて来て温泉地に一人できて温泉に入って帰るなんて初めてだ。少しキンチョール。
その温泉で私が利用するのは「日帰り温泉」の部だ。午後2時で終了。その後2時半から宿泊客のための掃除に入るそうだ。2時終了の30分前までに入店しなければならない。
温泉温泉と騒いでいた私だが、実は長湯はどうもできない。30分もあれば十分なのだ。1時15分ぐらいに緊張しながら温泉宿の門をくぐった。
エントランスには円筒形の傘立てが置いてあり、そこに入っている10本くらいの傘の殆どが透明ビニール傘だった。私の傘も少し捩じ込むようにその仲間に入れて貰う。内心ここでお別れかと思った……。
一応、この宿のホームページに書いてあった入浴可能時間内に入ったが受付に「まだ大丈夫ですか?」と聞く。分かってても聞いてしまうのは悪い癖か。受付の方は、私が初めてだと察したのだろう。「2時までですけどいいですか? 2時半には掃除が入ってしまいますが……」と。「全然大丈夫です。わたしは30分もあれば十分です」と言いそうになったがやめた。「はい、大丈夫です」とだけ口角を上げて返答した。
湯船も洗い場も私の他3人だけだった。空いている場所は好きだ。体を洗い湯船に浸かる。ひとりだけの広い湯船は開放感がある。10分くらい入っていようと肩まで浸かり静止する。しかし5分もしないうちにソワソワして上がりたくなる。外の景色も見えるもうひとつの浴槽に移る。ちょうどそちらにいた2人が上がるところだった。一つ目よりぬるめの湯だ。こちらならもう少し長い時間浸かっていられそうだ。少しじっとして湯の中にいたがどうもぬる湯は物足りない。本当はぬる湯にじっくり浸かる方が心臓にも良いはずだが物足りず2、3分で出てしまう。身体を拭き脱衣場でゆっくり服を着る。脱衣室の中央には休憩スペースもあるが、まあいいかと鏡の前に行き髪を溶かし一息付いて脱衣所から出る。
ロッカーに預けてあった荷物を取り出しに行き、まだ時間ありそうなのでロビーの椅子に腰掛けそばに置いてあった近隣観光地のパンフレットを見ていた。他に人はいない。
さてっと受付カウンターを見ると誰もいない。カウンター奥から会話は聴こえてくる。入館・入浴料は払い済みなので受付を素通りして帰っても問題ないと思うがとりあえず受付カウンターを通過する際に、奥に聞こえるように「お世話になりましたぁ」と声かけする。裏の方から「ありがとうございました」という返答。ここの日常だろう。
エントランスの傘立てを横目に進み、出口の自動ドアが開くと空は晴れているのに雨がポツポツ降っている。苦虫を潰すように後退りし、傘立てから自分が持って来た傘を引き抜く。またもや離れられない。両手は塞がった。
温まった身体は、外の湿気を嫌っている。
とぼとぼと駅に向かう。
再燃 落語調2024.10.23【essay 1567字】
わたくしの髪の毛は、まあまあ量が多い方なんですけどね。若い頃は、今よりもっと多くて癖のない真っ直ぐな黒髪だったんです。で、美容院に行きますと美容師さんに
「量が多くて真っ直ぐな綺麗な黒髪ですね」って時々言われます。
「ありがとうございます」とお礼を言い、すぐさま謙遜もします。
「いいと思う時もあるんですが、髪が多いのは一本一本が太いからですかね。全体的にボリュームがあって、夏なんか特に暑苦しい感じですよね(笑)。髪の毛思いっきり梳いて軽くしてください」
「そうですね(笑)。全体的に軽くしますね」って。
あわわ、やっぱりそう思ってたんだ……。自分で言っといてショックを受けます。
そんな多めの黒髪の中にも白髪(シラガ)が、ポリポツリと増えて来たんです。そして中年以降どんどんシラガは増え、ある時期は自宅で、ある時期は美容院で黒く染め、或いはブラウン系に染め、今に至っています。
まあ、最近は髪を染めて3週間くらいすると(頭のてっぺんを触りながら)毛の分け目部分がクッキリ白く目立ち始めて来るんですね。
いや、わたしの同年代の女友達なんか、シラガなんか年取ったら自然現象なんだからほっときゃいいのよって……いや、わたしに面と向かって言う訳じゃないんですが、なんかそう言っているようで……。
その彼女は全く染めないでそのまんま。でも年相応な綺麗なグレーヘアーがとっても似合っています。柔らかいグレーヘアーをふぁ〜んふぁ〜んと綺麗に靡かせ美しい。黒髪にシラガがパラパラとまんべんなく混ざっていて少し癖があって柔らかい髪。彼女の髪質は私とはかなり違います。そんな髪を綺麗に整えていて彼女にとっても似合っているんですよ。
わたしのように頭のテッペンの分け目から白くなるタイプじゃないんです。シラガも人によって色々な生え方があるんですね。
わたしのシラガといえば、分け目くっきり真っ白。分け目くっきり真っ白。何も二度言わなくともね……。
分け目が、線状の白から日を増すごとに楕円形の白になって行き、遠くから見るとついには天使の輪。
それでは皆さん、さよなら〜とどっかに飛んで行きそうです。いやいやまだまだ地に足をついて生きますよぉ。
美容師さんにも言われたんですが、わたしのようなシラガは、染めないでいたら真っ白になるだろうということなんです。
この真っ白になるという人もそうそういないんだそうです。
真っ白、いいじゃありませんか。白髪(ハクハツ)、少しあこがれます。2、3日でパッと真っ白になるんでしたらね。
ハクハツが綺麗だなあと思うのはあの俳優の草笛光子さん。いつも綺麗にしてますよね。
でもね、仕事柄、常にスタイリストの方が綺麗にセットしてくださっているんですよ。一般人は中々そうは行かないですよね。
さあ〜わたしの髪、今後どう決断をし、どう変えて生きて行くか(腕を組みむつかしい顔をする)。いや、笑い事でなくて個人的大問題なんです。まあ、一番手取り早いのは、ハクハツに向けて、一度綺麗に頭を丸め、そこに新たに生えてくるのは美容師さんが言うようにハクハツなんですからね。最初はハクハツの毬栗頭でじっと我慢し、徐々に伸ばしてショートヘアくらいになったらこっちのもんですよ。
でもねー、そのハクハツのショートヘアになるまでの間、わたしの心の葛藤がたぶんあるんです。途中どうやって過ごすか、黒髪への未練もあったり……思い切れない……ならばハクハツはもうちょっと先でいいかぁ……なんてね、心がぐらつくんですね。そんなこんなで、この何年かはその繰り返し。それでしばらくするとまた「ハクハツへの決断」を己に迫ります。そしてひとり格闘するでしょう。
この格闘、言わなきゃ誰にも気付かれません。
さてっと、この問題また小休止です。
予約をとらない女 2024.8.30【essay 836字】
ヘアカット専門の美容院にもう5年以上、月に一度通っている。美容師さんは大体4、5人で店は年末年始くらいしか休みにしておらず、勤務体系もまちまちのようだ。美容師さんの指名もできるが、私はしない。指名すると他の何人かのお客さんとだぶり待ち時間が長くなる可能性大でつらい。早めの予約もできるが髪切りは、私にとって突発的行動なので、勝手は百も承知だ。多少の待ち時間は仕方ないがとにかく短時間で済ませたい。何年も通って指名もしないと店のほとんどの美容師さんにカットしてもらっているので「このカット、しっくりくるな、私にあってるかも」と相性の良い美容師さんに巡り合えるのだが、それでも待ち時間短縮が私の中で勝ってしまうから指名はしない。
飲食店でも待ちたくない。目的の店に入ろうと店に着き、行列などできていると即やめて他の店を探すか帰って来てしまう。何人かで連れ立って行くときは他の人の意見も尊重するがひとりならまず並ばない。それが電車を乗り継いで行った店であっても諦める。好きな店だが人気になってしまっている店にその日どうしても行きたいとなるとやむなく予約も取るが、そういうことはこの先も滅多にないだろう。人混みもだんだん苦手になって来ている。
最近、1、2か月に一度くらいは関東圏内、近場の温泉旅行に一泊でいいから出掛けたいと思っているがなかなか実行できない。ホテルの予約を取る勇気がないというか、億劫というか……なかなか実行に空蝉。だから突発強行で電車に乗り目的地を目指す。現地に着いたらフラフラしてホテルを探し、当日の空きを聞いて泊まるというやり方で行こうかと目論んでいる。空室がなければ当日家に帰れる距離なのでいいかとなるのだ。コレでいこう!(痛い目に遭う候補の私:自然災害で交通機関が止まったらどうするのだ)。
「予約」のほか、外出が億劫にならない方法も思案中だ。 基本的にはひとり行動であっても、何か一つでも、薄い関係でいいから人が絡んだ趣味なり持つのも必要かもしれない。約束をしたら必死に出かけよう! 出かけるのだ。出かけてくれよ。
飲食店のテレビ 2024.8.11
自宅にテレビを置かず、何年もの間テレビとは縁がない。特に困らない。
しかしテレビを置いている飲食店に入ると普段観ていないので、テレビ放映が新鮮でつい見入ってしまう。ビールなど飲みながら頼んだ料理が出てくるまで、ボーッとテレビニュースを観るのもいい。バラエティやドラマは新鮮だがすぐ飽きてしまうものが多いが。またテレビの音を心地よいBGMとして聴ける店もある。
そこでテレビが置いてある店のいくつかのタイプを私の入店経験を元に、その店で働く人のテレビとの関わりについても思い出し書いてみよう。
まず単純にテレビ放映を営業の主体としているのがスポーツバーだろう。店のスタッフも元気があって、お客さんと店全体で盛り上がろうという雰囲気である。私の場合、スポーツバーはちょっと賑やか過ぎて……という印象でなかなか入る気がしない。しかし大きな大会の試合や選手権など行われている時は、この試合・競技だけは観たいと思っているのでスポーツバー店頭の放映告知に引っ張られそうになる。それでもなかなか入りにくい。
それから町の中華・定食屋さんで、1人で来ているお客さんが多い店は、割と静かでいい。店の天井に近い位置に、余り大きくないテレビが適当な番組を流していて、店の1人か2人の店主やスタッフが黙々と素早い動きで作業を続けているという風景が好きだ。テレビの音と店の作業音が心地よいBGMとなっている。
そして居酒屋のテレビ。今まで私が入店したテレビのある居酒屋は大体個人で営業している小規模の店だ。そういう店は、店の営業用にというより店主やスタッフの嗜好でテレビを設置していることが多い。野球やサッカー、競馬、映画、ニュースという具合に店主の趣味によって番組が固定化されて行く。
そうすると野球放映がある店には自然と野球ファンが集まる。しかし店が野球一色になるのは辛い。やはりテレビが置いてあっても店とのバランスが自分にしっくり来ないとなかなか通わない。
また偶然だが普段行かない大きなチェーン店の居酒屋にふと一人で入り、それが開店直後やお客さんが入っていない時間帯だったりで、 カウンターや1人から2人用のテーブルもあるが敢えて大座敷の掘り炬燵式テーブルに座らせてもらう。
広い空間にポツンとひとりだ。設置してある巨大テレビのスポーツ放映を独り占めにした瞬間、ニヤニヤとして来て幸福感にどっぷり浸る。ラッキー!
”ノリ” を思い出しつつ 2024.7.28
小中学校時代の幼馴染4人で一泊温泉旅行に行ってきた。もしかして卒業して初めてかもしれない。それほど行った記憶がない。私以外の3人は地元近辺で暮らしているので何度か一緒に小旅行には行っているようだ。ひとり離れて暮らしている私には、事あるごとに声はかけてくれるが突発的旅行であったりなかなかスケジュールが合わず参加出来ない。たまに「もっと早く言ってくれればいいのに……」と不満も言いたくなるが、突発的はこのグループの特徴でもあることを思い出し、私も歳をとったせいか最近では「まぁ時間が合って、たまに参加できればいいか」となって来ている。一泊旅行でなくとも何年か毎に会って食事をする程度のことはあった。そんな時少し私が構えてしまうのは、このグループ特有の〝ノリ〟だ。10代から地元を離れてかれこれ50年経とうとしている。会えば、少女時代の互いの呼び名で呼び合い地元の言葉も出てくる。しかし例えば、ちょっとした動作や会話でグループ内でしか通じ合えない特有の〝ノリ〟があり、地元在住の3人はそれぞれの生活もあるからしょっちゅう会っているわけでもないが、私から見てその〝ノリ〟が現在でもピタッとあっている。う〜? ここでこのノリ? このノリなんだっけ? と私は少し慌てる。
さて一泊旅行。目指すは熱海。ホテルは流石に仲間の一人が予約してくれたが、4人にとっては割に近場だということもあって行き当たりばったりでいいんじゃないかとなった。まず全員が集合しやすいI駅に11時。昼食を食べながら一泊旅行のスケジュールを話し合う。グループ内の2人は、「任せる」「決めた人に付いてゆく」という姿勢だった。私も2人と同じだったがこれは少し口を出さないと決まらないのではと思い、交通手段などを提案していく。ホテルを予約してくれた彼女も、ぐいぐい引っ張っていくタイプではない。それにそれに4人ともいい歳で若いときのようなテキパキとした行動はできない。頭の回転もそれなりに鈍くなっている(すまん)。しかし「突発的」という発想だけは少女期のままなのである。ようするに、とりあえず元気なのだ。4人のうち私を含め3人は昼食に小ジョッキ一杯のビールを添え和気あいあいと会食しつつ予想通り緩いスケジュールを立ててゆく。特急を使わず乗り換えが少ないJR湘南新宿ラインなら運賃も安くていいと思ったが、乗車時間が少し長いということで東京駅に出て新幹線で熱海まで行くことにした。今回は珍しく4人揃った1泊旅行であり、ホテル代も旅費も快適な旅が出来るように特に節約なしで行こうというのがグループの一致した意見だ。穏やかな会話の時間を過ごしつつ私は地元3人の〝ノリ〟にも徐々に慣れて行った。いや慣れたというより気にならなくなっていた。今回の温泉旅行は、とにかく観光は控えめで温泉に浸かりのんびり過ごしましょうということで十分目的は達成できた。
帰りは、列車の選び方で勘違いに段取りの悪さも加わり混んでいた熱海駅でゴチャゴチャと乱れた4人だったが、新幹線、山手線と乗り継いで前日に集合したI駅に無事戻って来た。 熱海駅でのゴチャゴチャで昼食を食べ損ねていたので、遅い昼食をとるべくデパートのレストラン街へ直行。レストラン街では、昼食時を過ぎると一旦締める店も多いが、開いていた和食レストランに落ち着いた。
店では、「お刺身定食」のようなものを頼み、これで解散ということで3人はビール、一人はお茶で乾杯した。最近あまり飲めなくなった私はビール小ジョッキ一杯ぐらいで十分だ。和気あいあいとおしゃべりしながら多少疲れもあったが旅の思い出や次回の計画やらを話しながら会食は進んだ。
店はランチタイムをとっくに過ぎて客は私たちだけになっていた。店のスタッフはランチタイムからメインのディナータイムへ向けての準備をそろそろ初めようかという雰囲気だった。
グループの一人がビールの後にハイボールを頼もうかとメニューを見ていた。私もメニューを覗き込み、ハイボール用のウイスキーはよく見かける銘柄のものとイチローズモルトがあったので、少し高いが、私が以前呑んで美味しかったイチローズモルトを彼女に進めた。彼女も興味を示し近くにいた店のスタッフに声をかけた。
忙しそうにホールを行き来している40代位のスタッフの男性は、呼び止められ少しだるそうに
「はい、お茶ですか?」と言った。
そこで背景を読み取った4人はクスッとする。彼に悪気はない。「はい、お茶ですか?」と聞いてくれただけいいではないか。おばちゃん4人で、お茶だけ追加していつまでもおしゃべりする……と考えるのは自然だと思うよ。うん、おばちゃんたち全員そう思う。
ハイボールを頼みたい彼女は
「いえ、イチローズモルトのハイボールをください」と言った。
男性はシャキッとして声のトーンを上げ
「はい、1つ? 4つですか?」
彼女は微笑みながら
「ひとつでいいです」
彼はバツ悪そうに少し照れ、
「かしこまりました」と言って厨房に下がって行った。
私たち4人はまたクスクスと笑った。
嗚呼この〝ノリ〟。
4人ピタッと一致した。そうか、歳を取ったら取ったなりの〝ノリ〟があるんだ(よくわからんが)。
ユニークなキャラクターの彼は、旅の締めくくりに私たちを和ませてくれた。楽しい旅だった。
ありがちな日 2024.5.19
都会のお洒落な写真ギャラリーに入る。知り合いの写真家の展覧会だ。この作家が以前違うテーマで開催した時にも来ている。作家とは同じ居酒屋で会うという間柄。といってもたまに偶然会う程度だが話は幾度かしている。居酒屋を出て駅までご一緒した事もある。
このギャラリー、前に来たのはいつだっけ? 5年以上前だった気がする。
小さなギャラリーをひと回りし、ギャラリー角の控室ドアが開いていて作家の後ろ姿が見えた。私の後にもう一人、女性の観覧者が来ていた。
控室の作家の後ろ姿に
「こんにちは!」
作家は振り向く。キョトンとしている。私の背後から
「こんにちは!」という声。
作家は、「あぁ、久しぶり!」と反応する。
作家に近い位置にいる私は、一礼する。作家は、曖昧な笑みを浮かべ、軽く会釈をしてくれた。
むむ、どうやら私の事を思い出せないでいるようだ。説明しようとしたが、私の背後にいる女性と親しいようで、作家はその女性に近づいて行き立ち話を始めた。
「おっと……まっいいか。そういうこともあるよね」
私は静かにギャラリーを出た。この後ももう一件違うギャラリーに寄る予定だったが力尽きて帰る事にした。
少し時間が早かったので、駅三つ四つ先のしばらく行っていない居酒屋に行こうか考えた。しかし「しばらく行っていない」というワードに今日は良い印象が持てない。
こういう時は家に帰ろう! 家でゆっくりしよう。午前中観られなかったメジャー・リーグの再放送を観ながらビールでも飲むか。
のような顔になる。姿になる。 2024.5.18
犬を可愛がる飼い主は犬と始終向き合い話をするだろう。同じような顔をし相槌を打ち微笑む。やがて犬と同じリズムを持ち同じような顔になってくる。だから犬を散歩させている飼い主を見、次に犬を見ると笑ってしまうほど(すまぬ)似ている時がある。これはお互いが癒されているといって良い。
人間同士は、そう簡単にはいかないと多くの人は言う。さて、癒しは置いといて、同じような顔、姿といえば、お互いが良好な関係でない場合も顔・姿が似てくることがある。
以前ある職場で根本的に合わないと感じている上司がいて、その上司に仕事上の意見を時々求められた。冷静に対応しているつもりが上司の言うことにどうも賛成できなくて……いや、いつもそうなるのは目に見えている。そしていつものようにその話し合いには嫌気がさして、顔にもそれが出てしまっている自分に気づく。
目の前の上司の顔を見ると上司も苦虫を潰したような顔になっている(あっ似てる! 私に。目の前の上司の顔の表情は今の私だ)。しかもこの上司とは週に4日か5日は会う。こんな場面はなるべく避けたほうがいいが簡単ではない。
その後も似たようなことは起きた。
嗚呼、魚になりたい! 障害物をスルスルと潜り抜け優雅に泳ぎまくる魚になりたい。となると私の姿は魚に似てくるのか……。
朝のレシート 2024.4.15
日曜、朝8時を回ったところ。駅構内カフェに入りホットティを注文する(先払い)。支払いを済ませレシートを受け取る。
店員「レシート下のよんせんきゅうひゃく……番でお呼びします」
むむ? 今、「よんせんきゅうひゃくほにゃらら」って言った? 朝の8時に?
若い男性店員の声が小さかったのと納得のいかない数字が聞こえたので首を傾げながらレシート一番下にある番号を確かめる。 「4938」という数字、確かにある。 だってこの店は朝7時開店から1時間ぐらいしか経ってないのに4900もの注文があったなんて考えられない。 ホットティはすぐ用意され店員はそばに立っていた私に番号で呼ばず、ただ「お待たせしました」と言ってホットティを差し出した。
私はコップを受け取り迷うほどの空席がある店内の一席に座った。暑いホットティをほんの少し口に含みもう一度レシートの数字を見る。 首を傾げながら。
そうすると一人の客が入店し何かを注文している。次に店員の声「よんせんきゅうひゃく……番でお呼びします」。やっぱり。確かに。4000番代だ。 待てよ、もしかしてこのカフェはチェーン店なので総店舗の注文数をレシートに表示しているのだろうか……疑問は広がる。 次の客が入店。
店員の声「3360番でお呼びします」
なになに? 戻る? い、いったいこの数字はなんなんだぁ! 私の脳内は朝から混乱状態だ。
ハカ 2024.3.24
「ハカ」と言っても、ニュージーランド先住民族のマオリが儀式や戦闘に臨む際に披露するあの「ハカ」ではなく、 日本の「墓」のことで最近思っていることを書く。タイトルを「墓」とすると、もうそれだけで気が滅入ってしまいそうで「ハカ」とした。
歳を追うごとに、一人家族の私は自分のハカを生前に用意したほうが良いと思うようになった。
別にハカのことを気にしなくとも亡くなれば親族に連絡が行き、どこかに納めてくれると思うが、 お互いにそれぞれ生活があり、冠婚葬祭などあった時に集まる程度で普段付き合いはないので、私の近況はあまりわからないだろうし、 はて? 火葬した後どこに納めたら……と戸惑うかもしれない。
田舎の両親は他界し、兄も一年前に亡くなり、現在は姉と二人だけだ。兄も姉も子供がいる家族があるので、 私が先か分からないが仮に私が姉より後に亡くなれば、兄・姉の甥や姪の所に連絡がいくだろう。
家族のなかで私だけでないと思うが、自分が亡くなった後の事など話し合った事などない。生きているものが何とかするのが世の常だ。
だが私は決めておきたい。意志を示したい。しかしそこに納めてくれる人が私が決めた所が都合悪ければ変えて貰って構わない。取り計らってくれる人を尊重したい。
さて、仕事はしているが生活に余裕がある訳ではない私はハカを買う予算はあまりない。
散骨は潔くて良いと思うが、これは本当に実現してくれる人を酔っ払ってではなく真面目にお願いするのが私には出来そうもない。難しい。
それに散骨は海を思い浮かべるが、海は見るのは好きだが入るのは苦手だ。寒そうだ。 暗そうだ……死んで仕舞えばわからないのにと言われそうだが生きている時の感想だから仕方ない。
最近では、樹木葬の広告をよく見かける。樹木葬を選ぶ上位の理由で「自然に包まれて眠りたい」というのがある。
時には太陽の光を燦々と浴び、心地よい風に吹かれ、確かに良い。しかし嵐や雪も受け止め、樹木はどんなふうに伸び枯れるか分からない。肥えた土には、虫も多種いるだろう。
虫は苦手だ。嗚呼、樹木葬はダメかもしれない。
「永代供養付き室内墓」というのもあるが、種類は色々ありそうだ。駅のコインロッカーのようにマス目に区切られているもの、半畳間位の個室になっているもの。しかし、東京近辺で探している私にとってこれらも安価ではない。
この辺まで調べ、多くの予算をかけられない、かける気になれないというのが根底にあるから、もう室内だろうが、極寒の海だろうが、樹木の下の虫と一緒だろうが生前の私が無理をしない所を選ぼう。「どうせ死んだら何もわからない」という常套句に至る。
関東に安価な埋葬場所を紹介するNPO法人がある。3万円からとあるが、多分3万では済まないだろう。直葬から埋葬まで20〜30万円ぐらい必要になるだろうか。金額には幅がありそうだ。
しかしこの辺で決めていくだろう。考えるのは疲れ逃げたくもなるが死は現実的な問題だ。
「死後の解放」はあるが、生きているうちだって面倒臭いことも簡素化すればもっと解放されるよ。 そして「曖昧さ」も必要だと思うようになった。相手が居て複雑なことは無理して解決しなくともいい。「どうにかなるさ」だ。
たまにはマオリ族の「ハカ」でも舞って身体を動かそう。「ハカ」に敬意を払って。
ライブカメラ 2024.2.6
○○ Live CameraとYouTubeで検索し世界の街の風景を観ている。街を歩きながらの撮影、定点観測あり、数分おきにカメラパンする映像などもある。日本の東北地方豪雪地帯や北海道ではかなりの雪が降る季節(1〜2月)、世界の多くの地域でも雪景色は観られる。
何故見始めたかというとアメリカメジャリーグ(MLB)で去年FAとなった大谷翔平の移籍先をめぐっての情報錯綜の中、私なぞ何も分かるはずはないが気付けば頭の中は勝手に移籍問題に参戦していた。あっちでもないこっちでもないと考えていた。まあ楽しんでいた。
移籍先がどうやらドジャースとブルージェイズに絞られたという段階で、個人的にはトロント・ブルージェイズを推していた。この時期11月から12月上旬はさほど冬の厳しさも考えていない時期だった。ブルージェイズはMLB全30チームのうち唯一カナダのチームだ。
以前ブルージェイズ本拠地ロジャーズ・センターでの対エンジェルス戦を映像で観た時、センター方向一番高いところにあるBarが開放的で、そこでビールなど飲みながら野球観戦出来るのはいいなあと思った。過ごし易い季節に限るかもしれないが。
それにトロントも都会だがニューヨークのように人が多く報道も過熱な大都会に比べたら野球に没頭できそうだ。球場も開閉可能なドームになっており雨も気にしなくていい。そういえばカナダの首相は若いし好感持てる……なんて余り関係ないことまで考えていた。
大谷翔平は、結局12月10日、西海岸のロサンゼルス・ドジャースへの移籍を決断した。自身のインスタグラムからの発表だった。10代の頃からドジャースへの憧れはあったようだ。
そして年が明け2024年を迎える。カナダのバンクーバーでの大雪のニュース。慌てて東側のトロントの街の様子をyoutube で確認する。トロントも雪で寒そうだ。アメリカのシカゴやフィラデルフィアでも今年は特に雪が多いというニュース。
そういえばメジャーリーグは2023年開幕から観始めたが、4月のアメリカ東海岸での試合ではまだ気温の低い日もあり、選手も観客も寒そうにしていたのを思い出した。大谷にはやはり調整もしやすい暖かい西海岸で良かった。
野球の内容になってしまったが、冬でも雪の少ない日本の関東地方に住んでいる私は、雪景色の映像は新鮮でどこか落ち着く。現地の人たちにしてみれば生活をするための雪掻きが待っており大変で気の毒ではあるが。
それからメジャーリーグ30球団本拠地それぞれの冬が気になり、YouTubeで、new york Live CameraとかChicago Live Camera 、Philadelphia Live Camera とかあちこち検索して観ていた。アメリカ東海岸の冬は寒くて雪も降るというの知っていたが、南部のテキサスでも雪が降っていて驚いた。
雪がないのはカリフォルニアとマイアミだけか! と突っ込みたいけれどこれは正確ではない。
そうこうしているうちにLive Camera を観るのがエスカレートして、自分の思い入れのある地域に次から次へと飛んで行く。
南米ベネズエラのカラカスは、今どんな感じか、もう30年以上前に「カラカス」というタイトルの映画があってこの実在する街の名「カラカス」はなんたって言葉の響きがいい。妻に愛想を尽かされた夫が妻の殺害を目論むというストーリーで、内容も面白く良かった。ベネズエラは、MLBアトランタ・ブレーブスのロナルド・アクーニャjr.の故郷でもある。
ヨーロッパ方面も観たくなり、ロンドンのダウンタウンの景色は今どうなっているのか、
アキカウリスマキ映画の舞台でもあるフィンランドのヘルシンキはどうかと、この「Live Camera を観る」遊びは当分続くだろう。
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※メモ
「ドジャース」ってどいう意味かと調べたら「よける (dodge) 人たち」という意味で、
ドジャースは最初ニューヨーク、ブルックリンにあった(1884-1957)が、
創立時ブルックリンは路面電車が多く人々は電車をよけながら歩いていた。名前の由来はそこからだ。そのまんまで面白い。
もう一つ、ドジャースと聞いて全くローカルな話だが埼玉県を中心に東京都にもいくつかあるデスカウントスーパー「ドヂャース」を思い出し、創立者はもしかしてドジャースのファンかしらと思って調べたら当時の社長は、アメリカの俳優ジンジャー・ロジャースのファンだったそうで、店名はそこからとったと。以外な方面に行き着いた(笑)。
呼び名 2023.12.25
(名称は仮名です)
先日、居酒屋でよく会う(かれこれ30年)知り合いの男性が急死した。
知らせを受けた2週間前にも店で顔を合わせていて、その夜もいつもとなんら変わりなく飲んでいたので、いきなりサッと姿を消してしまったようで愕然とした。
告別式は、6日後。店の仲間と待ち合わせることになっていると勝手に思っていたが、それぞれで会場に向かった。
地図で場所を確認し、ひとり斎場へ。駅から近かったのですんなりと着いたのだが、はて? 30年来の知り合いなのに彼のフルネームがわからない。
いつもの呼び名を空に向かって呼んでみた。「ユウキちゃん!」。そうだ、結城という苗字か!? いや、「○○祐樹」とか、下の名前から来ているユウキちゃんなのかもしれない……。
斎場にはその日葬儀が行われる「○○家」と書かれた立て看板が4つあった。どれでもないような気がする。
焦った!
近くにいた斎場の案内人らしき人に「ゆうきさんの会場はどこですか」と聞く。幸い、すぐ分かり教えてくれた。
別棟の2階会場入り口には、「悠木雅隆」という聞いたことのない名前が書かれていた。
陽射しがキツイ 2023.12.24
日中、陽射しの強い日に電車に乗り込む。
座った場所も悪かった。電車が走り出すと、外から差し込んで来る強い光が目を襲う。
思わず目を瞑る。閉じた目の内側は暗闇にはならず真っ赤だ。閉じても眩しいってどういうことだ。
上着でも被ろうか? ……それは勇気がいる。
暫くの間、真っ赤な世界で光を遮ってくれる何かが現れるまで目をきつく閉じ、その時を待つ。
瞼の向こうからは、親子と思われる母と娘の会話が聞こえる。可愛らしい女の子の声だ。親子は、真っ赤な電車の真っ赤なソファーに座っている?
季節も思い出せない赤の世界に居た。
いや、強い陽射しだから夏だろう。
そうでもないよ、最近、私の目は冬の陽射しもキツイ。
グラブの匂い 2023.11.19
何年か前、使い続けている乳液がいつもの店に置いてなかったので同じメーカーの新商品を買って肌につけると、かなり強い匂いがして思わず「うっ!」と唸ってしまった。
しかしこれは何処かで嗅いだ匂いだ。何かのオイルと使い込んだ革製品のような匂い……そうだ、中学高校と私はソフトボール部に在籍していたが、その時期使っていたグラブの匂いだ。
うわ〜懐かしい〜。いやいやグラブと同じ匂いの乳液は腰が引ける。
それでも2、3度息を止めて使った。その後は足、特に踵のひび割れ予防に使っていたと思うが……。(私のかかとはグラブの匂い)
月日はかなり流れ、最近ずっと使っていた乳液がいつもの店になく、仕方なく同じメーカーの新商品を買って使ってみると、かなり強い匂いがした。「うあ〜これはなんだ!」と叫んでしまった。
そして思い出したのだ。前にもこんなことがあった。そういえば私はあの頃も今も肌のスキンケアには同じメーカーのものを使っている。
私が愛用するスキンケアメーカーは、何年か置きに「グローブの香りの乳液」をリリースしているのだろうか?
いやいや、そんなことはなかろう。この匂い感覚は、私だけかもしれないのでこのブログに一度だけ書いて後は胸にしまっておこう。
匂いは記憶を呼び戻す。
ただ動かす 2023.10.27
事ある毎に家から駅まで15分の道のりを歩くが、時間に余裕がない時は、お約束通り焦りながら歩く。道中、ふと思うのだ。しょっちゅうふと思う。
気持ちの中だけで「慌てる」「焦る」なんてなんの問題解決にもならない。この状況下で実行すべき事は駅に早く着くために何をすべきかという一点だ。気持ちだけ焦っても早く駅には着かない。むしろ精神衛生上よろしくない。
そこで、自分に言い聞かせる。 そうだ! 今やるべきことは、頭の中を空っぽにして足を早く動かす、ただ動かす、それのみだ。
だから今〝たわい無い文章を書く〟という動作もそういうことかなと、私の軽い頭が確信する。
書くことなど何もないと思ってしまえばそれまでで、自分の見識が狭かろうが経験が浅かろうがその辺に落ちていて面白いと思ったものを気軽に書いていけばいい。何でもいいから自分流に書いてみる。でいい。しょうもない文章だと思っても気にせず書く。手を動かす。
書いていると楽しくなる事もある。次のアイディアが生まれる時もある。
もう15年くらい前に短編映画を作る機会があった。時を経てまた作ってみたいと思いながら仕事に追われていたり仲間を積極的に見つけようとしなかったりで、それっきりだ。
ならせめて一人でもできる〝シナリオ書き〟を進めて行こうと思った。短編を年に3本位書きたい。
その傍ら簡単なブログを立ち上げ、このエッセイのようなものも時々書く。生活の中からのエッセイ(生活を飛び越える時もある)を書いていると物語のヒントを見つけられる。だからただ書き続けるという行為を続ける。ただ手を動かす。
或いは書いて行く行為の先に書くことでない他の面白い事が見つかればそれも良し。
要するに私は貧乏性なのか? 何かしていないと退屈で、退屈が度を越すと頭と身体が非常にだるくなる。
良い酒と良い眠りを。
彼女の生活 2023.9.19
彼女に恋人ができた。
彼女は、彼に夢中になり彼の世界を知ろうと一所懸命になる。
彼女は、これまで無縁だった彼の人間関係に吸収されてゆく。彼女にとって何も不思議なことではなかった。
以前の生活に背を向けているつもりはないが、しっかり線を引いたように親しかった友人達とは会わなくなった。
彼女はいつでも彼との生活が一番だ。 彼は、生活の全てを自分に合わせてくれる彼女を自然だと思っている。
やがて、ふたりの生活に亀裂が入り彼女は振り返る。彼と会う前の生活はいとも簡単に消えてしまったのか。
久しぶりに、ことある毎に誘ってくれた田舎の幼なじみと会う。幼なじみは昔と変わらず彼女を歓迎してくれた。
胸が熱くなり涙がこぼれた。皆優しかった。
彼と出会う前、親しい付き合いをしていたグループからは嫌われたようだ。 無理もない。最初に連絡を絶ったのは彼女の方だ。
グループの彼ら彼女らからの連絡はもう来ない。後悔してもどうにもならない。
そして月日は流れ、若くはない彼女はひとりで暮らす。ひとり暮らしは、寂しさも気楽さもある。 しかしそれは多少の感じ方の違いはあっても2人暮らしであろうと大家族であろうと同じようにあった。
何が良かったか悪かったかなどわからない。
ただ、彼女はひとりでほっとしていた。
シャツ 2023.8.22
気に入った色や形の服が自分の中で確固たるものになって来ると多少興味の移行はありつつも何年も同系統を着続ける。
暫く、私は仕事だろうが遊びだろうが出かける時は、圧倒的にシャツ(ワイシャツ)が多くなっている。
白地は滅多に選ばない。柄モノ、無地ともに淡い色より濃い色、グリーン・青・エンジ・オレンジなどが多い。それをラフに着る。着てしまう。
既製品は、身体に合うものを探すのが大変なので、殆どが馴染みのワイシャツ専門店でオーダーする。都内に数店舗あるチェーン店で、高級店という感じではなく、ビジネスマンが普段の仕事用に気軽にまとめ買いするような店だ。買いやすいのだ。
その店に行けばシャツのサイズも分かっているので、体格の変化がなければ、生地を選んで注文は直ぐ完了する。たまに、襟の長さを少し変えてみたりボタンを奇抜な色にしてみたりという遊びもしてみる。もう15年位通っている。といっても半年か1年に一度2、3枚オーダーする程度。
たまに街を歩いていてショーウインドーを覗き、店に入り既成の服を体に合わせてみるがどうも買うまでに至らない。
知り合いにシャツはほとんどオーダーだと言うとびっくりされることがあるが、既製品をあれこれ見て決めるのは疲れる。苦手と言ってもいい。それでも街中で突然目に入ってきた服に強く惹かれ衝動買いすることもたまにはある。
ということで、そろそろ何枚かオーダーしたいと思い立ち、改めて自分のシャツは何故オーダーか振り返ってみた。
ピッチャーの制球力、それから。 2023.8.17
最近、アメリカMLB(野球)にハマっていて、その専門家や関係者の話や解説(特にピッチャーの制球力のこと)を読んだり聴いたり観たりしていたら、自分が中学・高校でかなり真剣に取り組んでいたソフトボールのことを思い出した。
中学入学して最初はピッチャー。自分でもカッコいい、やってみたいと思ってはいたが自分からではなく、監督の判断だった。バッティングもまあまあ良かった。
当時は負けず嫌いで、上手くなりたい、試合に勝ちたいと半ば意地になって回りのメンバー以上に練習をしていた。
監督も熱心だったので、休日も学校のグラウンドで監督相手に投球練習をした。それがどのくらい続いたのか忘れてしまったが、私はずっとコントロールのない自分のピッチングにイライラしていた。ただイライラしていたことだけははっきり覚えている。結局ピッチャーは、向いていないとなったのか内野手に変更され、サードとショートを主に守るようになった。高校時代はレフトかライトを守る外野手となる。
思い起こすと、最初のピッチャーの挫折は後悔している。監督からのアドバイスもあったと思うが、コントロール(制球力)のない自分にいらいらしているだけで、それを改善できるような努力をあまりしていなかったのではないかと振り返る。もう少し投球ホーム、メンタルなども含め真剣に取り組んで改善すれば良かった。もうちょっとできたんじゃないかと何十年も経った今になって後悔の念に駆られている。それでも当時13歳の私は、精一杯だったのか……。
今でもソフトボールの事は気になり、2021年夏に開催されたオリンピック「東京2020」のソフトボール女子日本代表が優勝に至る経過の試合を観て大いに盛り上がった。
日本代表のエース、上野は年齢的にも最後ではないかと云われていた。上野は、中学・高校から注目されていて実業団チーム、全日本代表でも常に中心的存在となっていた。
遠くで観ている私の想像だが、上野はピッチャーというポジションが好きで、ソフトボールが好きで、そのために常に努力して来た選手だ。
実にピッチャーというポジションがしっくり来るのである。174cmある身長で身体を十分に使って投球する姿はカッコいい。チームメンバーからも信頼されているのがわかる。
最近、上野選手のYouTubeチャンネルを観たが、そのなかでの言葉 「バッター、野手は来た球に対してリアクションして行くポジションだか、ピッチャーは唯一、ボールにアクション出来るポジションで、その時の自分の状態がボールを投げる指先にそのまま伝わる」 ……と。だからピッチャーは面白いと続く。
上野は、上手く行かない時、常に試行錯誤しアジャストしてきたのだろう。それになんといってもソフトボールをプレイするのがおもしろく、好きなのだ。
振り返ると私のソフトは、中・高とかなり頑張ったという自負はあるが楽しかったかと言えば、少し疑問だ。ソフトボールへの「熱量」と「好き」が足らなかった。そしてちょっと甘かった。身長も少し足らなかったか?
身長のことでいえば学生のソフトボールからプロに至るまでチームメンバーの中に小さな身体でよく動くガッツある選手が必ずといっていいほど1人は居る。そんな選手には、より強いエールを送り観ている。
さて私は高校も卒業する頃には、「頑張る」とか「努力する」とかに少ししらけて来て、やけに現実的になっていた。体育大学に行きソフトボールを続けようかというプランも少し頭をよぎったが結局普通の会社に就職した。
「おい、おい! 18でしらけるかぁ〜!」と当時の自分にツッコミを入れたくなる。
マウンドに居続けるということは常にメンタルと戦い、 イライラしてもグッと我慢して修正しながら如何にその時間帯を突破出来るかだ。
13才のピッチャーの自分、野手で18才のしらけた自分は「我慢のしどころ」がわからなかったのか。ソフトボールは、ここまでで終わりたいという自分もいた。
最適な選択はどれかなんていつだって確信できない。しかし、それもこれも進路を選択したのは全部自分だ。
何十年も経って後悔もあるが、今は今で楽しめることを探し積極的に体験して行った方がいい。
後悔といえば、将棋棋士の羽生善治さんが、インタビュー番組で「豊かな人生とは?」と聞かれこう答えた「後悔が沢山あること」。後悔が沢山あるということは、沢山経験できたから豊かだ。と解釈できて納得いく。実に勇気づけられる。
13才の私の“制球力の悪さ”も、あって良かったのだ。
ワサビが…… 2023.8.7
夕食用に大手回転寿司チェーンの握り鮨をテイクアウトする。寿司折りが入ったビニール袋をぶら下げ15分歩き家に着く。
寿司折りを開けると大半のネタがシャリから滑り落ちている。プラスチック製折詰は平行に保って家まで持って来たつもりだけど何故?
シャリの天辺を見るとワサビがついていない。「サビ抜きで」と頼んだつもりはない。容器の角を見るとワサビが入っている小袋が添えてあった。
暫く寿司のテイクアウトは、回転寿司それ以外の回らない個人すし店でもしていなかった。
2020年のコロナ禍から人々が飲食店にあまり行かなくなりテイクアウトは、店側でも積極的に工夫を凝らした提供をし、こちら側も利用しやすくなっていた。個人的には昔から生もの、そうでないものも飲食店の作り立てが美味しいと考え、あまりテイクアウトはしなかった。また状況的にしなくて済んだ。
現在に至っては、食が細くなり味の濃いものも苦手になり気軽に外食しなくなった。コロナ禍に関係なく。
さて握り鮨にワサビが入っていないことの理由を少しは想像できたが、店のホームページを覗くと
「お持ち帰り寿司はわさびの新鮮な風味をお楽しみいただくため、わさび抜きでご提供させていただいております。お付けしております〈わさび小袋〉をお好みで添えてお召し上がりくださいませ」とあった。
人手が足りない、手間をかけられない。「サビ抜きで」と言ったのに入っていた……などのお客さんの苦情をなるべく避けたいので、"わさびなし"一辺倒の握り鮨になったのかしらん。コロナ禍でもあるし。
自分で選んで買ってきた寿司なので、店の営業方針に文句は言うまい。
ただ一つだけ、なぜこの事を書きたかったかというとマグロやエビそのほかのネタが真白いシャリから綺麗に整列して滑り落ちている姿が滑稽で可笑しかった。
シャリとネタの間に挟むワサビは滑り止めにもなるんだろう。
そうゆう夜だった。
喫茶店で 2023.5.22
日曜の早朝、開店してすぐ入店。目の前に広がるテーブル席は選び放題なのだが、今日も前回と同じ席を選んでしまった。 その席が一番気に入っているという訳でもないが、足が勝手に動いた……と足のせいにしたい。
私の他に客は誰も居ない。ほんの5分か10分だと思うが、この時間帯が一番ホッとする。 しかし否応なしに至福の時も過ぎて、徐々に人が増えて来る。
衝立を挟んだ左隣に中年の女性ひとりが座った。彼女の注文はモーニングセット。 この店のモーニングセットは何種類かあるが、彼女はコーヒーにトースト、茹で卵付きを注文した。それに加えてトーストを追加した。
私はピンと来た。前回も同じ時間帯、左隣に座った彼女だ。彼女は前回もパンを追加注文していた。
この店のモーニングセットのトーストは、厚切り(2cm強)のイギリスパンを2等分した半身だ。 私も前回それを注文した際に少し足りないと思っていたところに隣の彼女がパンのみ追加注文していたので「そうか、それ出来るのか」 と頭に強くインプットされていた。追加料金は勿論かかるが……。
彼女の携帯がなり、電話の向こうの誰かに家の用事らしき何かをゆっくり支持している。
私は想像した。彼女は現在、家で家族の誰かを介護する毎日を送っていて、夫が家にいる日曜だけは、朝から午前中位まで家の中の仕事を任せて、 こうして喫茶店で朝食を取りながらゆっくりしている。彼女のつく溜息は、落胆ではなく安堵のため息に聞こえる。
さて、私の目の前、通路を挟んで向こう側の4人がけテーブルには、以前もこの席で見かけた老人が誰かを待っている。 5分位して以前と同じ40代位の男性が老人の所にやって来て軽く挨拶をし向かいの席に座る。
以前見た光景だ。 老人と男は、決して身内でもなければ知り合いでもない。いや、こうやって知り合ったのだから「知り合い」とも言える。 そして男は老人に何かを売り付けるセールスマンでもない。
男は、ひたすら老人の話し相手になっている。老人の話の内容は、今日の競馬G1レースの予想見解に始まり、 アメリカメジャーリーグで活躍する大谷翔平の成績や性格、人間関係の話。 最近、連続して起こっている傷害・強盗事件への見解やらを息つく暇もなく喋っている。声にはハリがあり元気だ。
それに相槌を打つ男は、たまに老人に同調するような短くまとめた見解も述べていく。聞き役としての匙加減は見事だ。
たぶん、男はプロだ。日曜のこの時間、老人の話し相手になる仕事をしている。
右隣の以前喫煙スペースとして使われていた部屋からは聞いたことのある会話が耳に入る。
中年の夫婦で、新聞を広げ日曜の競馬メインレースを予想している。積極的で大胆な予想を立てる妻と控えめで小さな声で喋る夫。
私も含め彼ら彼女らは、何故いつも同じ席を選んでしまうのか。 足が勝手に動いた? 直感的に居心地の良い方に足が向いて行ったということか……。
謎のペットボトル 2023.5.8
冷蔵庫のドアを開けると誰の所有物ともわからない1本のペットボトルが扉ポケットに横たわっている。
それはラベルのない大きさ1リットル位の透明なボトルだ。中に入っているものは多分水だ。ただの水であって欲しい……。
もう大分前からそこにあった。しかし気になり出したのはこの1ヶ月位か……。誰かの飲料水であるならば減って行くはずだ。
……減らないのだ。嗚呼、もう半年はあるぞ。
社長を含め8人の会社に設置してある小さな冷蔵庫。8人のうちの誰かのペットボトルなのだ。
会社繁忙期には自分で冷蔵庫に入れた物をつい忘れがちだが綺麗好きな社員が1人でもいると、冷蔵庫内に何週間も置いてあると判断したものは、持ち主を尋ね回り処分すべきものは処分していた。
行動力抜群の積極的、綺麗好き社員が最近辞めた事にも拍車がかかり、謎のペットボトルの事をほぼ全員が言い出せないまま時は過ぎた。いや私が知らないだけで、既に社内では囁かれているのかも知れない。
言い出せない理由は、ペットボトルに入っている水と思われる透明な液体の中に何かモヤモヤとしたものが丸まって浮いているからだ。
そのモヤモヤ物体は、柔らかい毛玉のような形になって揺れながら日を追う毎に大きくなっていく。このボトルの持ち主は、なにか飼っているのか?
私の他何人かを不安な気持ちにさせている。たぶん……。私はとうとう黙っていられなくなり、この不安な気持ちを共有したくなり同僚に打ち明けた。そうしたら同僚も同じで近くに居た別の同僚2人も首を縦に振った。
さあ、どうするか。といっても次の仕事また次の仕事と追われているうちに「謎のペットボトル」案件は封印された。
しかし冷蔵庫は仕事が忙しくても時々開ける訳で、その都度不安は蘇る。
ある日、冷蔵庫を開けるとドアポケットのペットボトルは無くなっていた。
おぉ! と小さく叫び、近くに居た同僚に訊ねると「◯◯さんが片付けてくれました」と、同僚は退職した綺麗好き社員の後に入った新人社員の方に顔を向けた。もちろん、持ち主を確認して片づけたそうだ。
綺麗好き社員の後に入って来たのがまた綺麗好きとは、なんと幸運な会社だろう!
で、ペットボトルの持ち主は誰だったかって? まぁ〜その〜……。
社内で「一番大らかな人」とでも言っておこうか。
かぶりもの 2023.4.28
アメリカのMLB(メジャーリーグベースボール)のゲームをwebで時々観るが、幾つかのチームでは、打者がホームランを撃つとベースをひと回りし、 ベンチに戻った時、チームで選んだのか、チームの一員が思いついたのか分からないが「ホームランおめでとう冠」が用意されていて、 それを被りベンチ内をハイタッチしながら練り歩く。「ホームラン・セレブレーション」というのだそうだ。
被り物でなく、巨大なネックレスやボクシングのチャンピオンベルトなど纏うチームもいる。 被り物では、バイキングのツノ付き冠や巨大なチーズ冠などそれぞれ意味はあるようだ。日本の大谷翔平が所属するエンジェルスは、 以前カーボーイハットや麦わら帽子だったか、最近、大谷選手がWBC後に持ち込んだと思われる日本の「武将兜」になった。
自分を誇示する仰々しく派手な兜。最初それを見た時は、何か恥ずかしくなった。 でも考えてみれば「どうだ! やったぞ、凄いだろ」と自分を誇示するそのものなので、この兜は、敵役だろう。 何度も見ているうち恥ずかしさも消えて行った。不思議なものだ。
それでエンゼルス兜の初見で、恥ずかしさを感じた私だが、同時に個人的な事を思い出した。
全く関心のない日本人もいると思うが、日本では還暦を迎えると赤いちゃんちゃんこ、赤い帽子を被って祝う行事がある。 厄除けの赤。そして60歳で生まれ変わるというので赤子の意味の赤を纏う。
何年か前、私の身内数人で還暦を迎えたものを順番に料理屋の個室など借りて祝って行こうということになった。
私の姉の子供達が、そのイベントに使う赤のちゃんちゃんこと帽子を買って来て、姉などが身に付けているのを見て、 それなりに楽しんでいたのだが私は被り物は遠慮したいなぁと思って見ていた。私に順番が回ってくるのはまだ先だ。 このイベントも続くかわからないしと半ば安心していたのだが、イベントは続いていった。
姉や兄……そして私の番になった時、 あの帽子を被るのが嫌になって食事会すらも拒否してしまった。そして還暦祝いの宴を私は断ち切った。
今思うと悪いことしてしまったと思う。赤を被って、纏って笑って居れば良かったのに。喝!
大谷翔平の息遣い 2023.4.3
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)
今年、2023WBCで日本は全勝優勝し、大会のMVPは大谷翔平選手だった。 終わった後も感動の幾つかのシーンをメディアを通して繰り返し観聴きしたが、 私が一番緊張し盛り上がったのは、3月9日、対中国初戦で先発した大谷が試合開始直前にマウンドで力強く数球投げた時間帯だった。
日本のファンは、アメリカMLBで活躍していて滅多に観られない”生大谷翔平” の姿・動きの全てを見逃さぬよう息を呑み凝視していた。映像を通して観ていた私にもそれは伝わってきた。
試合会場の東京ドームは静まり返り、大谷が一球一球投げる度に発する吠えるような息遣いはドーム中に響き渡り、 緊張感に包まれた。
こんな息遣いを初めて聴いたと思って、 webで検索し調べたら大会が終了して日本に戻ってきた日本代表の栗山監督がそのことについてインタビューに答えていた。
中国戦に先発した大谷は「試合前ブルペンの投球練習で一球もストライクが入らなかったので、 焦っていたんじゃないか」「早めにマウンドに上がり投げたかったと思う」「あんな緊張している大谷は初めて観た」と。
その緊張から来る息遣いだったのか……。 いずれにしろ東京ドームの静寂と大谷の息遣いは、 稀に経験することのない緊張感とジリジリと押し寄せて来る期待を感じずにいられなかった。
AmazonのPrime Videoで観たので、後日も観られる。 もう一回あの緊張感をと再生すると、プレイボールからの再生になっていた。
「その前なんだよなぁ」残念。
もちろん試合は、全編面白かったので再度楽しめた。
ありがとう侍ジャパン!
空と桜の満開の下 2023.4.3
(コロナ前のある朝)
朝の散歩を一週間ぐらいさぼっていたので今朝は勢いをつけて外に飛び出た。 6時、曇り。私のルーティン、腕の回転から始める。右腕を大きく空と空気を掴むように5回、左腕も。 両腕を互いの逆方向にぐるぐる回す。首を右に左に倒す、次に左右真横にひねる。10本の指を一本づつ順に折り、順に広げる。 手首をふりふり。少し歩き踏切を渡るといつもの直線だ。
右側は線路、左側は高校の校舎とグラウンド。この直線からは大股早歩きだ。そしてやや空を見上げ、口の筋肉の運動。 大きく口を開けて一歩おきに声を出す。
「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ、さ、し……」と、「ん」までを3クール。
さて今朝も「あ、い、う、え、お、か…き……さし…まみふへ……うううっ…………」
高校グラウンド側、空に近いところに満開の桜が出現しアタフタする。嗚呼、私のルーティンは崩れ去って行く。
ガサガサ 2023.3.31
地方競馬に「ギシギシ」という名の競走馬がいる。この名前が大好きだ。
というのはここでは関係ないが「ガサガサ」というタイトルを思いついたら「ギシギシ」を思い出した。
さて、私もたまにはバーガーショップでハンバーガーを食べる。ハンバーガー以外でも、 とろけるチーズたっぷりのホットサンドなどにも多く使用されている油を通しにくい硬めの紙「バーガー袋(耐油紙)」。 これに包んだものを受け取った時、油も汁も手に付きにくいのはいいだが、一抹の不安を覚えるのは私だけだろうか? 私だけかもしれない……。
形は正方形が多いと記憶する。四角形の二辺が開いている袋にバーガーが入っている。 その袋が大きければ大きいほど不安にかられる。「ガザガサ」する時間が長いからだ。
スマートに食べるにはどうしたらいいのだろう。みんなどうやって食べているのか。
袋になっている底を持ち、開いている方の紙部分を外側に折り曲げ、 中のバーガーが半分位露出したらガブッとやる。
しかし、自分ではバーガーが出て来て食べられるなと思ってガブッとやると周りの紙の一部もいっしょにガブッとやってしまう。
それが少々不快でチマチマと少しずつバーガーをかじる。包み紙をガザガザガザガザさせながら。
この耐油紙は硬い紙なので、折り曲げる時、顔に触れる時、それでもって耳の近くで食べるということだから、ガザガザ音がうるさい。
そしてとうとうハンバーガーを袋から取り出し手に持って食べる。
「バーガー袋(耐油紙)」手強いヤツだ。
その一連の行動は改善されないまま、今に来ている。
小銭 2023.3
今の時代、買い物に行けば多くの店でキャッシュレス支払いができる。 ICカードやクレジットカード、スマホの決済アプリからの支払いなど方法も色々だ。 スマホ1つでなんとスマートと言いたいが、私の行く店は八百屋さんでも居酒屋さんでも現金オンリーの店も少なくない。 そして現金を使っていると小銭がどんどん溜まってくる。
現金の支払い現場で寸時に10円玉、5円玉、1円玉など支払い金額の端数を用意してスマートに店員さんの目の前にさっと出し、 そこから受け取るお釣りの小銭がゼロ、又は最小限に抑えられた時は、してやったり! という満足感がある。
だがしかーし、疲れてボーッとしているときは、寸時の小銭最小限対策が出来ず、 ボーッとしている間に手のひらいっぱいの小銭を店員さんから渡され、仕方なく財布をパンパンにし、 財布を入れたバックも重くなり更に疲れてその場を後にする。
言っておくが、現金は嫌いじゃない。財布が小銭で膨れ上がった時、なんとかこの小銭を手放したい。 いやいや大切なお金なので必要なものを買って財布を軽くしたいということで考える。
そうだ、家で使うゴミ袋がもうすぐなくなる、シャンプーももう買わないとだなと、 近くのスーパーの日用品売り場へ。
このスーパーは、店員さんがレジ打ちを済ませた後、買ったものを自分で支払機まで持って行って精算する。
この支払い機の硬貨投入口へ、よく考えもせずに財布に溜まった小銭をザバーッと入れる。 少し足りなかったので千円札一枚追加投入。投入終了ボタンを押すと今入れた小銭と同じくらいのお釣りが出て来て、 しまったぁ! と頭を抱え、シャンプーの重さも加わったバックを背負って家路へと泣きながら、或いは怒りながら急ぐのであった。
いつもの朝? 2023.3
今朝、いつものように電車の前の方の車両に乗って周りを見渡す(見上げると言ってもいい)と男性ばかりだった。 「おっ、あれ、この車両、男性専用車両?」と思うくらい男だらけだ。
その直後アナウンスが流れる。「この電車の1両目は女性専用車両です」と。
私が乗った車両は2両目だった。そうか、2両目の男たちは降車駅での都合などで1両目に乗りたかったが、 女性専用車両なので、やむを得ず2両目に乗り、集まってしまったということか……。きっとそうに違いない。
そして電車は出発し、周りを高い黒壁に囲まれたような状態で圧迫感を感じつつ仕事場のある駅まで行く。
会社に着き、ハタと考える。ある時間帯「男性専用車両」 が実施されたらぜひ乗りたいという男性は何割くらい居るのだろうか? その理由は何か? 勝手に想像を膨らませるいつもの朝……いやいや、そんなこともないが……。
一つ思い付くのは、朝のラッシュ時は、 痴漢に間違えられたら面倒だから男性専用車両に乗りたいという人もいるかもしれない。 他にもありそうだ__通勤ストーリーメモ。
「母ちゃん」を思い出してみる。 2023.2
まー子「母ちゃん、私はB高校危ないって……担任の先生が言ってた……だからもう一高、C高校も受けるよ。ごめん」
母ちゃん「(笑いながら)なんだよ、謝らなくてもいいよ。
まー子が入りたいって言ってたソフトボール部があるB高校に行けるといいけど、
母ちゃんは、まー子が決めたんだったらどっちでもいいよ」
まー子「うん……」
──30年後
まー子「母ちゃん、私が家を出た後、手紙くれたけど破いて捨てちゃったよ。今うんと後悔してる」
名前だけ知っていたバート・バカラック 2023.2.20
先日、アメリカの作曲家バート・バカラックが94歳で亡くなった。 バート・バカラックは特に1960年代から70年代にかけて多くのヒット曲を生み出した。
1969年の映画『明日に向って撃て!』の主題歌『雨にぬれても』は彼の作曲で大ヒットした。 私にとっては映画より主題歌のインパクトが強い。70年代には当時人気グループ(兄と妹)の 「カーペンターズ」が歌ってヒットした『Close to you(遥かなる影)』の作曲もバート・バカラックだった。 ビートルズの「Baby It's You」もバカラック作曲だ。その他にも沢山のヒット曲がある。
しかし、それらの楽曲を作曲したのは誰かとまでは気にしていなかった。 頭の何処かで歌っている人が曲を書いているんだろうと思っていたのかもしれない。
最近になってSNSで、普段JAZZのことを書いている方がバートバカラックが亡くなったことに触れていて、 私はバートバカラックってJAZZシンガーだったかな? と考えながらwebで調べた。 そうしたら数々の有名なヒット曲を作曲していて、ピアニストでありシンガーでもあるということを知った。 JAZZの編曲も手掛けたようだ。
60年代から70年代のバカラックの幾つかの楽曲を聴いて何となくいい曲だと思いつつ、私はロックやブルース、 ジャズに傾倒して行き、ポップス系の曲は頭から抜けて行ってしまったのか? そして彼の死の知らせ。 調べると有名なヒット曲がザクザクと出てきたのだ。
そうか、映画『ミスター・アーサー』の主題歌で大ヒットした『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』もバカラックの作曲だ。 そういえば当時勤務先の同僚が、その曲を歌っていたクリストファー・クロスのファンで私にその良さを説明してくれるのだが、 当時私は泥臭いブルースが好きだったので、クリストファー・クロスの甘く高い声には興味が湧かなかった。
しかし今聞くと名曲だと思う。彼の歌声にも魅力を感じる。『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』にうっとりしていると、 ディオンヌ・ワーウィックの『That's What Friends Are For(愛のハーモニー)』も作曲していた(作詞は、キャロル・ベイヤー・セイガー)。 ディオンヌ&フレンズとし、グラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーが参加してのAIDS撲滅チャリティキャンペーンソングにもなった。 もともとはロッド・スチュワートが歌っていたそうだが知らなかった。当時ディオンヌの歌うこの曲が好きでレコードも買った。 いやCDだったか……。1982年ごろCDが出始めたのでCDだったかもしれない。どっちにしても処分してしまい手元にはない。少し後悔の念が湧く。
今でもどこかの街を歩いていて『That's What Friends Are For』が不意に流れてくると曲がヒットした当時の出会いや別れを思い出し、 つい「うるっ」としてしまう。
60分と90分 2023.2.7
時々、出勤前に立ち寄る最寄駅の「ドトールコーヒー」。珍しく土曜の夕方5時少し前に入った。 もちろん、いつもの早朝より混んでいる。今回は、席利用時間のご案内カードを渡される。 「当店では1オーダーにつき、お席のご利用は90分とさせていただきます」と書いてある。
店側は、来店してくれたお客さんが「満席で入店できない」とならないように、 16時〜18時という一番混み合う時間帯にそのカード設定を思いついたのだと思う。 さて、滞在時間の「90分」という設定は、どういうふうに割り出したのか。 60分は急かしているような時間帯か? 120分は、いくらなんでも長いだろう……ということか?
私の場合、朝の混んでいない時間帯でも60分を過ぎると、混み合ってくるかもしれないし、 帰った方がいいのではないかとそわそわしてくる。通勤前に店を利用する人は大抵短時間で引き上げて行く。 私は早起きして60分はゆっくりとカフェラテ(或いはモーニングセット)でも飲みながらブログなど書いて過ごす。 集中力の限界が60分くらいというのもあってか、それ以上は落ち着かない。
昨今そんな状態でいる私が、滞在時間の「90分」というカードを受け取って、
心の中で「あぁ、90分居ていいんですね」と呟き安堵する。初めて店側の意向を聞いたような気がした。
しかし、やはりというか……その日も60分で店を出た。
そう思えなくもない 2023.1.19
多摩霊園(府中市多磨町)にある父の墓に久しぶりに行く。もうひとつ目的があった。 暫くほぼ寝たきりの状態だった勤務先の元社長が春に亡くなり、お墓が私の父と同じ多摩霊園と知って、 一度お参りに行こうと思っていた。父の墓参りのついでに……いや、墓参りは「ついで」は良くないそうだか、 別々にというのも大変なので許してもらいたい。
多摩霊園は物凄く広い霊園で、社長の墓と父の墓は区画も離れていて探すのが大変かと思ったが、 霊園の地図を見ると園内にいくつかある通りの一つ「西2号通り」を挟んで左右に並んでいた。
偶然なのだが、来たことは正解だったと思わされた。
父の墓を離れ、通りを渡り社長の墓がある方に移動した。区画が並んでいるとはいえ、 ○区の後に○種○側○番などと基本は番号通り並んではいるが、 墓は増えてゆくので順番があるところから少し離れたところに飛んでいったりと、全てが番号通りとは限らないのである。
番号を追いながら行ったり来たり10分ぐらい近辺をぐるぐるしてしまったが、やっと見つかった。 迷わなければ、父の墓から想像していた通り近い。
私は用意しなかったが、墓には花が飾ってあり誰かお参りに来た形跡がある。 手を合わせ、「お世話になりました」と声に出した。社長とは気が合うとか仲がよかったとか、特別なことはなかった。 それどころか反発したことも幾度かあった。社長は感情的になって罵声を飛ばすようなこともあったが、 思い起こすと幾つかの場面では、私には「意味深い」ととれるような言葉を残していた。
最近になって、気になっていた社長の言葉の意味が私なりに分かって来て、墓参りに一度は行っておきたいと思っていた。
目的は果たせ、気持ちはスッキリとして霊園を後にした。しかしいつも使っている出口でない所から出てしまって、 土地勘のない私は不安になった。
いつもなら駅まで5、6分なのに、住宅街をウロウロし、なかなか駅への道が見つからない。 スマホの地図で誘導してもらってもどうも上手く行かない。
"狐につままれる" という言葉があるが、そんな感じだ。そうか父と社長が引き留めて居るのかもしれない。
2人とも酒飲みで一緒に飲んだこともある。
「少し飲んでいけよ」と引き留めて居るのかもしれない。
しばらくすると、目の前に見かけた道が広がり「助かった!」と、駆けるように歩いて駅に向かった。
まぁ、2人で飲っててよ。
帰 路 2023.1.9
退屈な仕事も終わり駅のホームで空を見上げると、今日はくっきり見えるはずの月が薄いベールのような雲で覆われ ぼんやり浮かんでいる。こういう月もほっとする。
自宅最寄り駅に着き、ふと寄って行きたい店を思い出し、年始の営業開始日をスマホで確かめる。よかった、今日からだ。
ツキが向いてきたか……と駅から出る。しまった、いつものように自宅方面出口に出てしまった。 店は反対側の出口だ。逆出口からも行けるが、なかなか開かない踏み切りをクリアしなければならない。 線路が8線もあり……こんな言い方で良いのだろうか? 鉄道用語がわからない。とにかくなかなか開かない。 最初にこの踏み切りを通ったときは、びっくりした。 遮断機が開いて早足で歩き半分過ぎたところでまた踏切警報機がカンカンと追い討ちをかけるように鳴り始め、あせって駆けた。そんなことってあるんだ。
それ以来この踏み切りを渡る時はドキドキしながら待っている。乳母車とともに待っている人が横にいると、 この人この踏み切りのことを知っているのだろうかと余計ドキドキする。乳母車の人は難なく渡った。あぁ、私はこの踏み切り横断の初心者だった。 そして今回も途中でカンカンなったので「なんだよ!」と捨てぜりふを吐き、ドキドキを胸にややつっぱりながらなんとか渡り終えた。
目的の店に到着。この店は酒が飲めるカフェ。居酒屋の喧騒もいいが、今日は静かな所でボーッとしたいのでこの店だ。 最初はビール。最近ビールもあまり飲めないので、この店の小瓶の量がちょうど良い。そしておつまみ2品。 飲み物はビールから白ワイン、シャルドネ。カフェなので、珈琲だけの人、ケーキやフルーツを食べている人もいる。 いいのいいの、みんな好きなもの食べて飲んでスマホ観て、少し休んで帰る。それでいいの。
一期の夢よ 2022.12.31
友人が、ある日突然、社会運動とか宗教とか恋する人に飛び込んでいくのを見ると呆気に取られ、 それについて昼も夜も暫く考える……大袈裟だけど。社会運動も宗教も恋も悪くないが、その変わりようはないんじゃないかと。
友人は、1ミリの疑いもなくそこに突進する。
友人の変貌に少し否定的な私は、若いある時期3日とあげず友人に会っていた。友人の日々の様子は大体分かっていた。 いや、分かっていたつもりだった。しかしこの数年、あまり会う機会がない。会っていなくとも私の傲慢なのか、 頻繁に会っていた時期と変わりなく相手の事を多分こうではないかと想像してみている。
人には幾つかの転機があって、友人は私と余り合わなくなった数年の間にその転機を経て現在があるということか。 のん気に構えている私には「突然の変貌」として見えているだけなのだろうか。
実は、本当のところよくわからない。人の一生は、本人が考え、決めること。色々考えていると面倒くさくなって 「まあ、好きにすればいいか」と半ば放り投げる。だが本当に困ったときは、私のできることで助けたいと思っている。 このような事態に遭遇すると、
「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
という室町時代の歌謡をつづった『閑吟集』の一節が頭をよぎる。良いか悪いか分からないがこの一節を思い出す。
私も「ただ狂へ」の世界に飛び込んで行こうか。友人とは違った道の……。
最後には「まあ、気楽に楽しめよ!」と誰に言うともなく呟く。
2022年、年末に。
素敵な帽子 2022.11.28
(ある珈琲店で)
私は通路に向いて座っていた。前を通り過ぎた80代位の女性は、私の左隣りの席に座る。 隣の席とは衝立で仕切られているので、以後全く見えない。
30代位のウエイターが私の前を通り過ぎ隣の方の注文をとりに来た。
ウエイター「いらっしゃいませ」
と言ってお冷やの入ったグラスを置く音が聞こえた。
女性は、独り言を言いながら注文を迷っている。
そしてウエイターにメニューの質問を幾つかしていくのだが、
物腰が柔らかく声の小さいウエイターの返答が聞きずらいようで何度も聞きなおしている。そんなやりとりの最中、
ウエイター「素敵な帽子ですね」と。
うん? 帽子被ってたっけ? 私は俄然興味が湧きだした。
さっき私の目の前を通り過ぎた時、帽子は確認出来なかった。
どんな帽子だろう? お客さんにそんなお世辞をいうようなウエイターに見えなかったので、 本当に帽子が素敵だと思ったのに違いない。
隣の女性「えっ?」
ウエイターは、言い方を変えたり大きな声を出すわけでもなくさっきと同じ調子で
ウエイター「素敵な帽子ですね」
と繰り返した。
女性客「えっ! 何か言った? 私耳が遠いのよ」
あぁ残念。
しかしウエイターは慌てることなく、女性客のオーダーに対しての質問の返答にもどり、丁寧に対応し戻って行った。
私はとっさに「素敵な帽子ですねって言ってましたよ」と衝立の向こうの女性に耳打ちしたいと思ったがやめた。
隣の女性はその後、持ち帰りの珈琲豆も購入し、珈琲が美味しかったとウエイターに伝え、
店を後にした。
そういえば私の目の前を通り過ぎて帰って行ったけれど、また帽子を確認しなかった……。
袖口よ! 2022.10.30
いよいよ寒くなって来た。そうなるとジャケット、コートの登場だ。 毎年この季節を迎えるのは分かっているが、何故か今年も新鮮な気持ちになる。 去年の着心地も忘れる。同じジャケットなのに。寒いし身の引き締まる思いだ。
あまり手の長いほうではない私は既成のジャケットの袖が長い。 袖口を折って着るのは普通だ。
昼休み、銀行のATMへ向かう(この日はゆうちょ銀行)。取り立て特別な事ではない。 操作ボタンを押す。「お預入れ」を押したい。「残高照会」が押された。 いやはや、しっかり「お預入れ」の文字を確認して押したのが……まあそんなこともある。 私が間違えたのかもしれない。もう一度「お預入れ」を押す。 うん? いや! わたしは確かに「お預入れ」を押したぁ〜! しかし「定額・定期お預入れ」が押されて、その案内をしてくる。 いよいよ焦る。私の後に並んでいる人もいる。そこでやっと気付くのだ。 これは私が押したのではなく私のジャケットの袖口が押していたのだ。袖口よ、ここはしばらくじっとしていてくれ。
私は深呼吸し、袖口を抑えて10cm上から真っ直ぐ下に「お預入れ」目がけて人さし指を下ろした。 無事仕事は終わった……やれやれ。
健康診断 2022.10.8
受付を済ませると、404番のカードを渡された。向こう1時間位、私は404番だ。 4という数字が2つもある。日本では、縁起が悪いとされる数字だか、構うものかっ! 2つもあるとかえって運が強いような気がしてくる。
このクリニックのスタッフは、ほぼ女性で構成されている。しかも小柄でよく動き、働く女性が多いという印象だ。
「404番の方!」
進行係りの女性に呼ばれた。彼女は院内を音も立てずに走りまわり働いていた。
まず採血だ。私の悩みは血管がどうやっても浮き出てくれない、脂肪で血管が埋まっているのか? 幾つかの病院で、 何回も針を刺された経験があるが、この2、3年は割とスムーズに採血できており、今日も特に心配はしていない。
採血担当の看護師は、柔和な感じの女性だ。
血管が浮き出てくれないことを一応伝えたが、それがプレッシャーになったのかどうかわからないが、1回目失敗。
「すみません」
彼女は謝る。私は、
「大丈夫ですから」
と俯き加減に頷く。採血現場を見るのが怖いので始終うつむいている。
「腕をだらんと下ろして、グーパーグーパーしてください」
言われたままに真剣にやる。彼女は、まだ新人かもなぁと思ったりする。
「すみません」
とまた言う。すみません、すみませんってそう何回も言わなくても大丈夫だから……などと思ったりする。
彼女は必死だ。気合いを入れ、私の左手に覆いかぶさるように再度挑戦。彼女の柔らかい胸が軽く握った手の先に当たる。緊張する。
ちくっとしたようなしないような……今、刺したのかしらん。
「すみません」と彼女はまた言う。
私は、空いている右手を振りながら
「大丈夫、大丈夫」と言う。
3度目だったか、
「あっ、入りました」
と彼女は安堵したのか、次の瞬間からどうどうと仕事を遂行する仕事人に変わる。
ずっとその時を待ち、俯いていた私は彼女の「入りました」という言葉から4、5秒経過したところで顔を上げた。
すでに小ぶりな試験管3本には私の血がたっぷり入っていた。
彼女はテキパキと片づけ「お疲れ様でした」と言う。
私も仕事が終わった時のようにお礼を言って待合室に戻る。
「404番の方!」
おおっ! 今日の私はモテるな……などとぶちかます。
今度は身長・体重・血圧。身長は、去年から0.5センチ位減ったんじゃないか? ショック! 計り方間違ってない? などとプロに難癖付けるのはやめよう。
体重は、なんと4kg減っていた。
去年の私のデータを手元に持っていると思われる担当看護士は、
「大丈夫ですか?」と言った。
一瞬、はて? と思ったが、去年より体重が減っているが体調は悪くないか、どうなのかという意味だと理解したんだが、
頭の中の半分は理解できていなかったようだ。そして人間というものは、相手の質問の意味が分かったとしても、
その場での率直な気持ちを口に出してしまうことがある。
「うれしいです」
と私は答えた。彼女は笑い、私も笑った。
身長・体重同時測定器を降り、そばにあった自動血圧計に左腕を突っ込む。
上の数字が141までいった。むむむむっ、いつも高くても134位なのに。
「ちょっといつもと違うんじゃないかと……」という顔をして、担当看護師を見る。
「もう一度計りますか?」と看護師。
「はい!」と大きくこっくりしてもう一度左腕を突っ込む。
上の数字は128で安定した。いつもよりちょっと低いんじゃないかなぁと思いつつも満足そうに看護師を見る私。
笑みを浮かべて数値を記録する看護師。
「お世話になりました」と言いながら検査室を出るも、頭の中では「ほんとにいいのかなぁ〜これで」という所から「いいの、いいの、これで」
という着地点に至り、待合室に戻る。
この待合室は健康診断受診者専用の待合室だ。順番を待つ人々は、女性が多いが男性もぱらぱらと居る。
検査着の上着は被るタイプだが、前下部分が2重になっており、右脇腹にある左右のヒモを結ぶと着衣の下部がヒラヒラせずシャキッとする。
面倒くさいと思いつつ更衣室でしっかりヒモを結んできた。なんだかそのヒモが気になって皆どうしているんだろうと観察すると、
数少ない男性受診者は全てヒモなど結んでいなかった。受診前に狭い更衣室でさっさと着替えを済ませないといけないので、最後のヒモ結びは面倒くさいのだろう。
女性も2、3割は結んでいない。この2、3割の人たちは奔放で性格がカラっとしてるのかもしれない。
面倒でもとりあえず結んでおこうと考える私は几帳面の部類に入るのだろうか。
「健康診断検査着のヒモと人」についての考察をしていると、
「404番の方!」
と呼ばれる。
さあ、次は何が待っているか。
新聞の記事とスマホと 2022.9.20
先日、久しぶりに駅のコンビニで新聞(日刊ゲンダイ)を買って興味が湧く書評を読んだ。 北上次郎さんが、凪良ゆう著『汝、星の如く』を紹介していた。
とても簡潔で、紹介本に興味が湧いてくる書評だ。そして読んだ後は、なんだかスッキリとした気分になった。 550字位であったが、これくらいの長さで纏め切る爽快さ。私もブログで目指したい。
以前、飲み屋で会った新聞記者が言っていた。一つの記事は800字位がちょうどいいと。 それ以上だとなかなか読んでくれないという。 読む側の興味の問題もあろうが、これには頷ける。今はスマホ主流で、朝電車に乗ると、これから公営ギャンブル場に向かうおじさん以外、 サラリーマンなどは新聞をほぼ持っていないと言っていい。まだ新聞が売れていた時代、 忙しい時間帯に長い記事はなかなか読もうとしないのだろう(通勤時間が長ければまた違うだろうが)。 それで800字という文字数が出てくる。
現在のスマホ時代で、私はどうか、通勤時はSNSや無料のニュースの100字、200字ぐらいを拾い読み。用事が特にないときは、 スマホ画面のスクロールが延々に続きそうで怖い。気がつけば1時間くらい平気で経っている。 そして疲労感。楽しい時間帯と思うときもあるが、必ずしも充実した1時間ではない。もう少しでやめようと思いながらなかなかやめない。 読んでいる実感があまりなくなってくる。目は疲れ、頭はボーッとしてくる。
短文でいいから一つの記事に充実感を覚えれば、そこでスマホを置こうと思うのではなかろうか(ちょっと甘いか?)。 冒頭の村上次郎さんの書評を読んだ後の爽快さがときどき味わえればいいのだが……。もちろん情報を選ぶ自分の責任もあると重々承知している。
***
【追記】
先日(2023年1月25日)「本の雑誌」創刊者で前社長の目黒考二(めぐろこうじ)さんが亡くなったのを「WEB本の雑誌」で知った。
目黒考二さんは、北上次郎さんだと知っていたが、競馬エッセイストの藤代三郎さんでもあると知らなかった。
競馬雑誌「週間ギャロップ」での連載「馬券の真実」は、何度か読んでいたのに……なんとうっかりだ。
目黒考二さん、北上次郎さん、藤代三郎さんのご冥福をお祈りいたします。
同情・思いやり 2022.9.11
以前(2006年頃)、社員10名ほどの印刷会社で働いていた時のことを思い出す。 印刷オペレーターのAさんは人工透析を受けなければならない身体だった。 会社に出勤できるのは週に3日だったがベテランで仕事はでき、その部門は出勤日が少ないAさんが一人で仕事を廻していた。 私は入社して間もなかったので詳しい事情はわからない。Aさんは、堂々としており社長とも対等に話をしているように見えた。 でも今思えば身体の方はきつかったのかもしれない。仕事を外注にも出していたのかもしれないと。
会社としてはというより小さな会社でいわゆるワンマン社長だったので、全て社長が決めていたのだが、 当時の社長はどう考えていたのだろうと改めて思う。
社員の殆どは、なんともないように仕事をこなしていたAさんに同情していた。Aさんの部門にもう一人入れてあげればいいのに。 又は直接Aさんに「身体大丈夫?」などと心配したり……。
社員のAさんへの心配、会社への不満など、社長の耳に入ったからか分からないがある日、 あまり事情を知らない私に仕事の話の流れからAさんの話題になり社長はこう言った。
「皆は、Aさんのことを色々心配しているような事を言うが、じゃあAさんの為に何か具体的な行動しているのか?」 細かい言い方は思い出せないが、そんな内容だった。後に続く言葉は、社長はAさんと話しあって今の状態になったということだった。 社員が文句ばかり言うのでその弁明ともとれたが、ドキッとした。
Aさんは独身で一人暮らし。病気とはいえ、収入もなくては困るだろう。社員を募集してもなかなか来ない。 入ってきたとしてもAさんとの進行などの折り合い。社長は週に3日でも仕事のできるAさんに任したほうがいい。 受注が重なったら外注に出せばいいという判断になったのだと思う。 Aさんの性格・仕事のやり方を知っている社長の賭けだ……と今、私は想像を膨らませている。
10日間+ 2022.8.16
今思えば、あの蒸し暑い月曜、帰宅後の全身の怠さ、特に足がかなり怠かったのはコロナに感染したからか……。翌日体温測るも平熱。普段と変わらず仕事も出来た。
火曜日、金曜に会った友人が発熱し、かかりつけの病院に行ったら熱中症と言われ、PCR検査も翌日することになったという。金曜に一緒に居た別の友人からの連絡だった。
発熱した友人は、翌日には平熱にもどり、水曜にPCR検査、翌木曜に陽性の結果が出たと私のところに連絡が来る。
仕事中だった私は、少し焦った。そういえば、ここのところ喉が少しヒリヒリしていた。でもそれは、夜のクーラーが効き過ぎての事と思っていたし、もう一週間くらい前からで、毎年ある事でもあり、余り気にしていなかった。
私は、会社では個室で仕事をしていた。といっても共同トイレに行くし、頻繁に他の社員と打ち合わせもする。
隣の部屋で仕事をしていた2人、別の部屋にいた社長に事情を話し、木曜午後から帰宅し、家での仕事に切り替えさせてもらった。
家には、会社と繋がっている仕事用のパソコンもあり仕事はできる 。しかし、完全な状態でもなかった。
木曜午後は、会社にも伝えたがPCR検査の予約を取らなければと焦っていた。友人のPCR検査陽性を教えてくれた別の友人が、割と予約が取れやすいと、木下グループのPCR検査を受けるというのを聞き、私もそれに乗った。幸い、自宅に近い所にあったので、即予約する。翌日金曜に予約ができ検査所に行く。私は車も自転車も乗らない。その日も暑かったが30分程歩いて現地に着く。
木下グループのPCR検査は、発熱がなく無症状の人が受けられる。私の場合発熱はなく、喉の違和感もほぼなくなっていたので受けた。 PCR検査は唾液による検査で、検査時間3分と書いてあった。……しかし思っていたより唾液は出ない。私は10分かけてやっと検査可能量に達した。
検査結果は翌日中にメールで知らせが来るはず。私も金曜に一緒に居た友人も仕事仲間も多分陰性と思っていた……ような気がする。
土曜午後3時過ぎ、メールがきた。結果は陽性だった。 さてと、まず何処と何処に連絡するか。カレンダーに記載してある予定を見てキャンセルするべきは何と何? など考える事が色々あった。
この先、体調の変化があるかもしれないが、取り敢えず熱もなく体調は普段通り。「陽性」という言葉を受け、体調悪くないのに気持ちを暗い方に持って行かれないよう「まぁ、気楽にしておこう」と自分に言い聞かせる。
先週会った友人らにラインで知らせると食事の事など心配してくれた。会社にもラインで知らせ、体調悪くないので家で仕事すると伝える。個別に食事の心配なりしてくれる同僚もいたが、時々ネットスーパーを使ってるので食べることに関しては大丈夫だと伝えた。しかしこれもほぼ症状がないからできる。不幸中の幸いだ。
新型コロナ感染症は2022年現在、3年目を迎え、しかもこの夏は感染者がかなり増えている。誰がなってもおかしくない。友人や同僚のコロナに対する考え方は少しずつ違うかもしれない。土日以外毎日のように会う同僚には、知らせるべき事は知らせなければと思うが私が余り大袈裟にしてもいけない。正直どう立ち振舞ったらいいか緊張しながらずっと考えていた。
木下グループのPCR検査を受けるにあたっては誓約書を書く。陽性の結果が出た場合、医療機関の受診を必ず受ける。その病院名も書かなければならない。
陽性の結果が出たのは、土曜午後で、私が誓約書に書いたクリニックは、土曜午後から日曜も休み。ジリジリとする。月曜迄待つのは辛い。木下グループPCR検査事務所に誓約書に書いた指定医療機関は変更できるか、土日受信出来る病院紹介してもらえないだろうかとメール、電話もした。だめだ、繋がらない。近所の他の病院もパソコンで検索したが歩いて行くには遠かったりと中々見つからない。そのうち疲れて家から歩いて5分の誓約書に書いたクリニックに月曜朝一番で電話しようと腹を括った。
小さな病院では、コロナ感染者と思われる患者を診られる人数は限られている。それに他の患者さんもいる。しかも月曜朝。開院少し前から電話をかけ始める、繋がらない……。10回位かけた後、これは少し待たないとだめだ。本当は近いからクリニックに押しかけちゃいたいが今それやったらダメだ。
11時に再びクリニックに電話するとワンコールで繋がる。事情を説明すると明日朝9時にという。仕方ない。 会社へは、病院受診が明日になった事、本日家での仕事が可能な事を伝えた。
家で数日間仕事をするに当たって、パソコンの作業環境を整える必要があったので土・日から少しずつその作業をしていた。仕事用のパソコンは、会社で使っているパソコンより動きが遅い。少しの作業、会社とのやり取りには会社支給のパソコンを使い。まとまった仕事は、ソフトなど整え、自分のパソコンで行うようにした。
火曜日朝9時にクリニックへ。9時開院のクリニックは閑散としていた。看護師さんだけがやけに多いと感じる。 カーテンのある個室に通され、中にあるベットに腰掛け、体温を測りながら問診票を書く。 終わると看護師さんを呼び体温計と問診票を渡す。医師がカーテンを開け、その場に立ったまま症状を聞く。 私はそれに煮え切らないような曖昧な答え方をした。特に症状らしい症状がないから仕方ない。 しかし発症日が特定出来ないと在宅療養機関も出ないし、保健所への届けにも必要らしい。 だから私は「木曜日に喉が少しヒリヒリしていました」と答えた。スマホ画面のPCR検査結果証明書も提示する。 症状は軽いという事で薬の処方もなかった。初診料その他で2510円。
待合室で少しの間待っていた時、中年男性が慌てたように入ってきて、PCR検査の結果を聞こうと何度も電話したが出ないので来たという。あゝこれだな、SNSでも医師が呟いていたが、いるんだなあ。その気持ち凄く分かるが今はダメだろう。
クリニックの帰り道、この後会社への説明など考えながら歩いていたら家を通り越してしまった。
症状が出てから10日間の自宅隔離、その後の会社出勤になると勤務先に伝えた。本当は同僚も緊張すると思うし、隔離解除後3日もすれば夏休みに入るのでそのまま仕事はリモートでやって行きたかったが、夏休み前に会社に出ないと出来ない仕事があったので仕方ない。
火・水・木・金と体調かわらず家での仕事。火曜に食料が乏しくなったのでネットスーパーで注文する。平日で翌日には届くだろうとたかを括っていたが、木曜午後4時過ぎの配達。少し焦るが、米、水は充分あり、カップ麺、乾麺もあったのでまぁいいかと。
そういえば、私は相続のことで近所の弁護士事務所に相談に行く約束をしていたので、 その断りのメールを送った。相続といってもその内容は弁護士さんにとって、 積極的に相談に乗ろうと思う相手ではないだろうと想像し、相談するのを躊躇していたが快く受けてくださったので相談日を楽しみにしていた。
弁護士さんからの返信メールには、今自宅療養の方も多いようなので、お大事に。という内容が書かれていた。この数日気を張っていて孤独だったのもあり涙腺が緩み嬉しかった。 「いや〜! これじゃ詐欺士に騙されやすいぜ私は……」と自分にツッコミを入れ力なく笑う。
土日は休み。月曜は家で仕事。この日からは普通に外出してもいいという事で夕方食料の買い足しに外に出る。
火曜、いつもより少し早く会社に出勤する。お互い緊張するんじゃないかと同僚になるべく会わないようにする。仕事場個室から余り出ないようにしたい。会社近くのスーパーで自分用飲み物を多めに買う。心配かけた同僚へのアイスクリームを買う(会社冷凍庫に入れておこう)。数人に挨拶し、仕事を黙々と進める。
自宅療養の10日間、症状も悪い方には向かなくてよかったが、感染しないに越したことはない。 気持ちも少々落ち込んだ。だが収穫もあった。
このコロナ禍、会社では各自リモート用パソコンの用意もしていたが、社長はリモートを積極的には考えなかった。もっとも会社の業務事態、各自家で作業するには無理があるのは確かだった。その中でも私の仕事は主にパソコンによる制作の仕事なのでリモートが他の社員より可能だ。
今までリモート用のパソコンを家に設置していても、なかなかまとまった期間実行していなかったが、今回10日間家で仕事をし、問題なく出来る仕事、少しやり方変えれば出来る仕事、会社に出社しなければ出来ない仕事がはっきり見えて来た。そういう意味ではこの10日間は良い経験だった。
服を買う 2022.7.27
私の外出着は、会社は服装自由なので、遊びも仕事も変わらない。シャツは殆どオーダーで、決まった店でたまに購入。といっても店からセールのハガキなど来た時、買い易い値段で購入している。 スラックスも似通ったデザインのものを夏、冬用をたまに買う。
要するに日々同じようなものを着ている。これが楽で落ち着く。買い物が好きではないとも言える。
しかし年に一度、勤務先の会社でホテルを借りお客様を100人位招待する催し物があり、受付もするので、服装もフォーマルでなくてはならない(フォーマルに見えなくてはならない)。
黒の礼服は持っているが、時期が夏でもあり、汗をかきにくく動きやすいフォーマルっぽい服を探さなければならない。この時期ばかりは、買い物は嫌いだなどと言ってられず、ブティックやデパートの服売り場を何店か回る。
普段、服売り場には滅多に足を踏み入れないので、大げさにいうと浦島太郎状態で、店に入り色々見ていくと「へ〜! 今こういうのが流行っているのか〜」と面白ろがったり盛り上がる。勉強にもなる。試着はあまりしたくないが、意を決して試着する。
「あ〜、私には合わない、しっくり来ない、あゝ」などとなかなか決まらない。 柔らかい線のブラウス、ヒラヒラのレースが付いた服……。苦悩したり面白がったり疲れ果て、無難なところでやっと決まって購入する。
これが終わると、必要なものを買う以外はピタッと洋服売り場に行かなくなる。
洋服売り場に行きたがらない他の理由として、売り場の人とのコミュニケーションも回数行かない分、ぎこちないし慣れていかない。 最近は、お客さんに商品をじっくり見てもらうように、あまり話しかけない店も多い。それが良い時と「この店は、売る気あるのかなぁ」と思うときもある。しかしそれは仕方ない。店の方針だし、買う側は自分にあう店を探せば良いこと。
ある店で売場スタッフにアドバイスされ3回試着して決まらず、断ったらその店員は明らかに嫌な顔をした。
「あぁ、私が売り場に行きたくない理由は、こういう人に遭遇する機会があるからだ」と改めて思う。
「私にはちょっと合わないので……」
「そうですか? そんなことはないと思いますけど」
そう! 以外に他人から進められたものが似合うときもある。素直に聞きたいと思う。
でも今回は嫌なのです。さようなら。
カットハウス 2022.7.11
髪の毛がもっとフワッとならないだろうか。私の髪は硬めで多め、一本一本太い感じがする。癖がなく真っ直ぐだ。それにかなり短くカットすると後ろ側の毛先がぴったり首に付かず浮いてしまう傾向がある。ショートカットで柔らかい髪がぴったり首筋を覆っている人を見ると羨ましい。
今まで美容院に行くとしょっちゅう毛先の悩みを美容師さんに伝えていた。美容師さんは、毛先のカットの角度を変えたりとやってくれるのだが、いまひとつ解決しない。
ある日、美容院をかえてみた。カット専門の値段もリーズナブルな店だ。1人にかける時間も10分から15分とし、お客さんの数を多くこなして、採算を上げるタイプの店だと思う。
以前の店も手頃な値段の店で、3人から4人のスタッフが常に忙しそうだった。美容師さんの指名もできる。でも私はしなかった。1年ぐらいの間に何人かにカットしてもらい、私に合うかなと思った美容師さんが2人いたが、人気があって待ち時間が多く指定せず通っていた。
引っ越しの後、その美容院が遠くなり段々通うのが面倒になって近くの店に変えてみたくなった。今回の店は、閉店10分前に入ればなんとかやってくれそうなので仕事帰りに飛び込んだ。担当は30代後半〜40代位の女性の美容師さんで、多少荒っぽいがテキパキと仕事をこなし、嫌な感じはしなかった。私の髪のボリュームや毛先の傾向など話したら彼女は的確にはっきりとした調子でこうアドバイスしてくれた。
ブラッシングの仕方で変わると。 私は前髪が伸び、邪魔になってくると後ろにかき上げ、横の髪や後方の髪もかき上げる。ブラッシングは横に流すように、かき上げるようにする。 そうか、後ろ髪の毛先も跳ねるくせがつくのもわかる。頭の天辺もボリュームを抑えていたんだと。
その美容師さんがいうにはブラシを頭の天辺、もしくはもっと後方から前方に向けブラッシングする。両側面も少し後ろ側から前に向けブラッシングして整える。するとファっとする。後ろ毛先はそれとは別に両横も真後ろも肌につけるようにブラッシングする。
素人だって考えればわかるじゃん! と言われそうだが、私の頭のどこかで、常に髪の毛は横に流したい、多い髪を少しでも少なく見せたいというのがあったので横に後ろにというブラッシング法を疑う余地もなく続けていた。
白髪隠しという理由もあるが天辺は、少しフワッとさせたいと思うようになってから色々と気になり始めた。 その日、簡単なカットで終わり翌日から美容師さんのアドバイス通りブラッシングの方法を変えた。
なるほど、後ろ髪の毛先の跳ねもなくなってきた。天辺も朝から数時間はファッとしている。でもこの「ファッ」は、午後から夕方くらいに仕事が立て込んでくるとつい髪をかきあげてしまう癖が出て元の木阿弥に……やれやれだ。 しかし、後ろ髪毛先の跳ねは著しくなくなり、この効果は嬉しい。先の美容師さんに感謝したい。
一ヶ月が過ぎ、もう一度同じ美容室に行く。 前回と同じ時間帯だったので、担当も同じ美容師さんだった。 彼女は私の事は覚えていないだろうと、勝手に思い込む。想像だが美容師さんの方は、お客さん全てを覚えていなくとも髪を触っていくうち、髪の特徴などで思い出すのではないだろうか。 そして私は不覚にもと言っていいかもしれない。自分の髪質の説明を前回と同じように説明した。
今回の彼女は前回にも増して荒っぽかった。いや、イライラしていたのかもしれない。 短時間で何人ものお客さんをこなさなければならない。スタッフが辞めてもその後なかなか人が入らない。閉店間近に入ってくる客、それも色々注文をつけてくる。
「はい、すみません、適当にやってください」という気持ちになり、髪質の説明は、ほどほどにし彼女に同情した。そして仕上げのドライヤーかけ。
彼女は小柄で、座っている私の頭の上からというより横からドライヤーをかける。さっさと終わらせたかったのだろう。強めの熱風が私の額や耳や頬を時々直撃する。
「あっち!」口に出そうになったが、飲み込んだ。口に出さなきゃだめだよという自分もいたが、とにかくドライヤーかけは終わった。
私は美容院で、終了し身支度をして店を出る時にそこにいる何人かの美容師さんに「お世話になりました」と一礼する……普段ならば。 さすがにその日は挨拶もせず、スッと店を出た。
背中の方で微かに「ありがとうございました」という声も聞こえたが振り向きもせず外にでた。
帰宅後、鏡を見ると右眉のすぐ上が赤くなっているのに気づく。横2センチ縦1センチ位の幅で……。
「あゝ、ここに残ったか……」
「こういうのは、店に訴える人も居るんだろうな。いや、訴える案件かもなぁ」などが頭を駆け巡る。
多分時間帯を変えれば、違う美容師さんになる。続けて通いたい気持ちもあるが……。まあ、やめておこう。
彼女は、本当は腕のいい美容師なのかもしれない。 何処から流れてきたのだろう。
たどる 2022.6.20
(街角の菩薩像)
生母と別れたのは、私が3歳になる少し前のようだ。だから記憶の中に、生母の面影は全くない。 その後、養子に出て大病を患うこともなく過ごして来た。育ててもらった養父母には感謝している。
7歳の時に「どうも私は養子らしい」ということを知ってからこの5、6年前まで (私を捨てて行ったという気持ちもあり)全く母に会いたいと思わずに過ごして来た。
だが、自分の老いや老後を考えているうちに、母が私と別れた後、誰と何処に移り住んで行ったのか、 現在は何処で暮らしているのか、存命なのか、私と別れた後、一緒に生活していた家族がいて可能であれば母の話、 写真など見せてもらえないだろうか……などと考えるようになり母を知りたい気持ちが強くなってきた。
一方父は、私が二十歳の時に1回、今から13年前「くも膜下出血」で倒れて知らせがあった時、 病院で一回会い、その後亡くなっている。
友人が「親が亡くなった時、実子には連絡が来る」と言っていたが、調べたところそうでもなさそうだ。
生きていればかなり高齢の母であるが、生きていてほしいという期待はあった。
実子であれば、身分証、自分の戸籍謄本(抄本)、生母との関係が分かる戸籍謄本等揃えて、 先ず自分が生まれた当時の住所があった役所にいき、その時の戸籍(本籍)筆頭者の謄本を取り寄せる。
母と父が別れたのは知っていた。母は父の戸籍から除籍して実家の父親の本籍地に復籍していた。 さて次は復籍した役所に戸籍謄本を申請をする。第一地点(私の生誕の地)、第二地点(生母生誕の地〈復籍の地〉) とも役所への郵送申請で取り寄せが出来た。
第二地点の除籍票、最後の3行には母の移籍先が書かれていた(再婚相手の籍に移籍)。その第三地点、 最終の住所がわかるかもしれない市役所に今度は郵送でなく窓口まで出向いた。
母の除籍票に書かれていた移籍住所は、現在近隣の大きな市に区画整理によって統合され変更されていた。 私は窓口で多少の説明をしたが、必要な書類を揃えるのに慣れて来ていたので、抜かりはなかった。 やり取りはスムーズに行われ、10分程度待って母の戸籍謄本と最後の住所がわかる附票の写しを受け取った。
そうなのだ、母の最後の住所だった。 母は平成30年、92歳で死亡していた。かなり高齢で存命でない確率は高いと覚悟はしていたが、 はっきり「死亡」という文字を見たとき納得せざるを得なかった。悔しかった。 平成30年といえば、最近だ。私が母の辿った道を知りたいと思い始めた頃ではないか……「あ〜あ、遅いんだよ」自分に呆れる。
私は市役所の待合室で何度も受け取った書類を読み返した。
10分位経っていただろうか、はたと我にかえり仕事場に戻らないとと腰を上げ市役所を出る。 駅方向にトボトボ歩き始めた。
初めて訪れた街だがweb地図で駅から市役所までの道のりを何度かなぞっていて迷いなく歩き進められた。 1時間程前、市役所に向かっていた時目印になっていた不動産会社の角を駅方向へ曲がる。
市役所へ向かっていた時は道路の反対側を歩いていて気付かなかったが、その角には菩薩像がすっくと立っていた。 その姿を見た瞬間、涙腺が緩み心から祈りたいと思う気持ちが胸いっぱいに広がった。
現実的で、信心深くもない私が……と自分に驚く。
そして、大まかではあるが母の生きた道筋を知り、落胆もしたが気持ちはすっきりしていた。
それらしい男 2022.5.13
(短編より短編)
目的の博物館にはバスで行こうと思った。しかし今思えば、なぜバス停の名前を確認しなかったのか後悔している。 web上の地図で調べたところ、博物館の近くには、よく知るスーパーの大きな看板が高い所にあった。 バスから外の景色を眺めながらその看板を目印に行けば大丈夫だと安心していた。
自宅最寄駅のバス乗り場に着くと、グッドタイミング!目的の行先標示板が確認できるバスからまさに出発を告げるアナウンスが流れていた。 慌てて走った。前を見ると40代位の男も同じ方向へ走っていく。
男も同じバスに乗るようだ。男のあとに続きバスに乗り込む。 バスは出発し、前を行く男は慣れているかのように運転手席の2つ後ろにサッと座る。 今コロナ禍で運転手席のすぐ後ろの席は、殆どのバスが着席禁止になっている。
私はまわりを見渡し、バスの揺れが少なさそうな、といっても選別の自信はないが、 男の2つ後ろの席に座る。男はかなり長身だ。布バックを肩に掛けてラフな服装をしていた。 サラリーマンではなさそうである。自由業だろうか……と数秒考えたが、 それよりも私の頭の中では同じバスに向かって走った時点で、その男と降りるバス停も同じような気がしていた。
ちょっと待てよっ! 少し戻るが自由業ってなんだ? 幅が広すぎる。 強いて言うならデザイナーとかCMディレクターとかグラビアカメラマンとかの範囲だろうか……。
頭の中でしょうもない想像が渦を巻いていてもバスはスムーズに進んでゆく。目的地には特に混んでいなければ20分弱で着くはずだ。 長い時間バスに乗ると気分が悪くなるが、20分くらいなら大したことないだろう。
そうこうしているうちに左斜め前方に目印のスーパーの看板が見えてきた。腕時計を見ると出発してから13分位経過していた。 予定よりちょっと早いがバスはスムーズに走っていたし、道の混み具合でかかる時間は違うだろう。 私は背筋を極端に伸ばし降りていいものか二つ前に座っている男の動向を窺う。
バスは停車し男はスッと立ち上がった。私も焦って立ち上がり3人ほど降りた後に続いた。 男は急ぎ足でどんどん離れて行く。私は走り去っていくバスを見て不安になったが、すぐ男の後につづいた。
スーパーの2つ手前の角を曲り前に進む。男と私の間には若い女が一人歩いていた。 博物館に向かっている人がもう少し居てもいいものだが。
それから同じ方向を歩いていた女は細い路地を曲がって行った。 この道を歩いているのは前を行く男と私だけになった。 もしかして違うかもしれないと、目的地をよく調べなかった自分を悔やむ。
まさしく男をつけている様な状態になった。 もう引き返そうか、いやもうちょっとと男の後をつける。 男に怪しまれないよう自然と歩くように心掛けたが、どこかぎこちない。
引き返そうかどうしようか迷っていると突然、 男は左側に並んでいた数件の民家のうち一番子ぢんまりした一軒家に吸い込まれるように入って行った。
私は息を呑み、男の横顔を一瞬見た。幸い男はこちら側には気づいていないようだった。
男が民家に入ってからも私は歩くのを止めずゆっくり10歩ほど進み、それから道を引き返した。
バス停にもどり、標識版を見る。時刻表と現在のバス停名、終点までの幾つかのバス停名が記されていた。 どうやら4つ手前で降りてしまったようだ。 特に急いでいないので歩こうか……。
バス停4つ分? それはちょっと厳しいなぁ。時刻表を見るともうすぐバスも来る時刻なので、少し待つ事にした。 歩いてまた見当違いの所に迷い込んでしまったら、もぅもう〜疲れ果てるだろう。 程なくバスは到着し乗り込んだ。バス停4つ分でも間隔は皆短く、5,6分で目的地に着いた。
博物館の近くであろうバス停で降りても心許なかったが、大勢の人が歩いて行く方向に一緒に歩いた。 また人を頼りにしていると思いながら。 5分くらい歩くと博物館の方向を示す案内板があり、ほっと一息つく。 見上げると左上高い位置に、先程見たものと同じスーパーの看板が反り立っていた。
駅に近いところにあるこの食品スーパーは出店もしやすかっただろう。 しかし先程降りたバス停4つ前辺りはファミリーレストランや薬局が、ぽつんぽつんとある程度で、 そこに住む住民は駅の近くまで行かなければ食品スーパーはない。 「近所にも店舗があったら」という声をこのスーパーは受け止め、それに応えた。実に偉い!
そう思いながら看板をまた見上げた。この数十分の恨みを抑えつつ……。
私は足が長いほうじゃない 2022.4.17
初めて行く店には期待しないようにしているが、今回はうっかり期待をして入店してしまった。小洒落た茶屋である。
入り口で席に案内される。 一階二階とも入り組んだところに色々な方向を向いた席があるので案内された方が迷わなくていいと思った。 2階の隅っこのカウンター席に通された。
その席を見て「あっ、店のホームページの写真のなかで、一番座ってみたいと思った席だ」
心の中で期待と共に呟く。 席につくとおすすめメニューを紹介された。全体のメニューも受け取り目を通す。 軽い昼食を摂りたかつたのでサンドイッチと、少し暑い中歩いてきたので、 喉の渇きを癒すべくオレンジジュースも頼む。
狭いカウンター角には壁にくっつくようにして優しい灯りがともされていた。
「おおっ、これは本やスマホを見るのにうってつけだ、小さな書斎だ」
しかし、かわいい傘のついたスタンドライトは、近過ぎて熱い。
この店は、カウンターも椅子も木造り。木の温もりがいい……まてよ? なにか落ち着かない。すでにお尻が痛い。
座った椅子は、幼児サイズではないかと思わせる小さな椅子。
ああ、足をどこに収めていいかわからない。私はかなりの大人だが足は長い方じゃない。
それでも、この椅子では足とお尻のおさまりが悪い、落ち着かない。
早い退席を決行するか……いや、もう一度だけ、今度は店のbarタイムに期待しよう! ひとまず食してさらばじゃ!
声 2022.3.15
仕事中、スマホに着信音。横目でスマホを見たら切れた。
間違い電話か……。
とりあえず手に取り、番号を確かめる。滅多に電話をよこさない兄貴だ。他に電話しようとして間違えたな。兄貴のやりそうなことだ。別に用もないし、ほっときゃいいか。う〜む、何か特別な用事かもしれない。気になり返信する。
私「もしもし」
兄「おー!〇〇ちゃん、間違えて押しちゃった。元気?」
私「(やっぱり…)うん、元気だよ。そちら皆さん変わりない?」
兄「おお、変わりないよ。コロナ大丈夫?」
私「うん、私の周りには居ないねぇ。そっちは?」
兄「うん、こっちも居ないなぁ」
私「じゃまたそのうち……」
兄「おぉ、じゃまたな」
兄は家を継ぎ、私はもう随分前に家を出ている。何十年かのあいだに両親も亡くなり色々なことがあった。全く環境の違う所で生活し、考え方もまるで違う。あまり喧嘩らしい喧嘩もしなかったが、少し悪態を付きたくなることがあったくらいだ。しかし私は直接兄に自分の気持ちをぶつけることはしなかった。今思えば、それが問題だったかもしれない。まあいいか。 特に用事もないし、最近は電話も滅多にしない。もう何年も田舎には帰っていない。
問題なのは滅多によこさない電話の声だ。
なんだか死んだ父によく似ている。私は懐かしいその声に束の間やられてしまう、クヤシイが。
すんだことは すんだこと 2022.2.15
『すんだことは すんだこと』(ワンダ ガアグ 再話・絵、佐々木マキ 訳)という福音館書店から出版されている絵本を持っている。 40代位だったか、日常の細かいことをいちいち気にしていた私は、本屋でこのタイトルが目に止まり「そうだよ!」と心の中で叫び、すぐさま手に取り購入した。むかし、レコードの内容を知らなくともそのジャケットが気に入って衝動買いすることを〝ジャケ買い〟と言っていたが、これは本の〝タイトル買い〟〝コピー買い〟とでも言おうか……。
『すんだことは すんだこと』は、夫婦と赤ちゃん、3人暮らしの農家が物語の舞台で、夫は毎日のら(畑)仕事、妻は家で家事と子供の世話、家畜の世話などをしていたが、夫が自分の仕事は辛く、女房の仕事は楽に見え、愚痴を言う。妻はそれなら「明日から、仕事をとりかえっこしてみよう」と……。いざ夫が初めてやる家事や育児、家畜の世話は失敗ばかり。1日どころか半日でギブアップしてしまうという話である。
結論として相手の仕事を尊重して助け合いながら生きていこうというだけの話ではない。夫が物語の途中に何度かタイトルになっている言葉を発するのだがそこで、もう一言付け加える。それが納得させられ憎めなくなる。
物語の最後、夫は「お前さんの仕事はちっとも楽じゃない」と。 妻は「明日は、もうすこしうまくやれるかもしれないわ」と夫を励ますとともにその言葉は本当なのか念を押すかのように返事する。 夫は「とんでもない。もう、俺の仕事のほうがお前さんの仕事よりたいへんだなんて言わない、元どうりにしてくれ」」と。妻は嫌味など言わず(内心はどうだか知らないが)、「そういうことだったら私たちはこれから仲良く暮らしていけるわね」と優しく言う。妻のこの言葉は、タイトルそのものだ。
小さいことなどどうでもいい。すんだことはすんだこと。
(多少、細かいことを気にする嫌味な大人の感想文になってしまった)おわり。
ラジオドラマ 2022.1.18
(声の魅力)
先日朝、出掛ける前にYouTubeで、ラジオドラマ『おとこのはなし』橋爪功(ひとり芝居:約60分/作:オカモト國ヒコ、演出:江澤俊彦)を見つけて、冒頭から15分聴いて後髪を引かれる思いで家を出た。歩きながらスマホからイヤホンで聴けばいいと思うが、私はそれをあまりしない。
その日の夜、焼酎を飲みながら最後まで聴く。
まず俳優の橋爪功さんの鍛えられた声と雰囲気がいい。
橋爪さんが演じるのは、既に亡くなっているホームレスの男だ。
男は、ガード下のビニールシートで作ったテント小屋で亡くなったのだが、何日も気付いてくれる人がいなかったらどうしようと、翌日幽霊(人間の姿)になって近くの公園に行き出勤途中の人を捕まえ「ガード下のテントの中で死んでいる人がいるので警察に届けて欲しい」と頼む。その死体は自分なのだが幽霊なので届けられないと。幸い良い人に出会い、その人は警察に届けてくれた。
夕方また公園で警察に届けてくれた人に会い、死体は午前中に片付けられ、まだ顔は綺麗だった事など伝え、お礼を言う。
そして少し長い身の上話を始めるのだった。
音楽は千住明さんで、音を抑えながらも叙情豊かに物語を盛り上げていた。 技術効果の方の力も感じる。
幽霊の男は、自分は料理人だったこと、その職場での事、恋人、母親のことなど次々に話し、 最後に母が居る故郷の五島に「男の死体届け人」とワープし? 飛んで行く(男の妄想かもしれない)。 母がいる家の引き戸を開けると、もう何年も会っていない母が、背中を向け台所仕事をしていた。 その背中がふたまわりも小さくなっていて落胆する。
母は、いつ帰るかわからない子供である男のために、男の好きな島の焼酎(一升瓶)2本を常に流しの下に用意していた。 母は酒は飲まなかったが、いつ来ても良いようにと時々新しいものに買い替えていた。
一番会いたかったのは母だった。
「だけどもう会えないよぉ」
と嘆くのだが、その言葉からは悲壮感は感じられない。 ほんわかとユーモアある橋爪さんの声(表現)だからか。
60分は、私には少し長かったがエンディングは納得した。
さて、流しの下にある焼酎をもう一杯飲んで寝よう。
2021年を振り返る 2021.12.29
去年の夏頃に個人のブログを開設したかったが、今年9月にやっと開設できた。 若いときだったら計画通りにできなければ、そこでやめてしまうのが常だが、 中年期を超え高齢になって行くなか、会社から肩を叩かれるか、 自分の事情で会社を退職するかどちらにしても「あと何年会社勤めを続けられるか」という現実が目の前に迫って来て、この先「自分だけで続けられ、いつでもやめられる拠り所」を作りたいと探していた。 仕事はセーブしながらも何らかの形で続けたいと思う。
ブログは無料で始められるものもあるが、 コードを書いてシンプルでも良いから独自のブログを作りたかった。 やりながら少しずつブラッシュアップ出来ればいいと自分に期待して。
ブログ開設を一年越しで開設してみて、何かを始めようとして挫折した若いときの自分に「もう一年頑張ってみればよかったのに」と声をかけたいが、それは叶わない。
今の自分がここにいるだけだ。残りの人生を楽しく過ごすしかない。
生まれて来てよかったと思うし、生みの親も育ての親も私が日々楽しく過ごして行くのが、
一番嬉しいに決まっている。
シンプルに普段思っている事でも、こうやって書いてみるのもいい。
さて年末に来て、気になっている本『小商いのすすめ』平川克美著(ミシマ社)を買おうと思う。
手ぶら 2021.12.5
早朝の散歩は気持ち良い。
手には何もない。
身軽で、気持ちも楽になる。
人も車も私の側にはいない。
静かで空気は澄み、
頬に冷たい風があたれば
心地よい緊張感を感じる。
そうだ、いつもこんな気持ちで出かけられたらいいのに。
しかし、仕事に行くにも飲みに行くにも早朝はないだろう。
いや仕事は差し迫った時、夜明けと共に出かけるというのもあるがプレッシャーを少々抱えながら手にはバック。頬に当たる風は余り心地よくならない。寒い冬は悲鳴さえあげながら突き進む。
飲みに行く時は、ほぼ夜である。好きな場所に行き、気の合う友人に会うということで気持ちは楽だ。さらに荷物がなければずっと軽やかになるだろう。
仕事や遊びでも持って行く荷物をもっと減らせるのではないか。だいたい出先でバックに詰めた物のうち実際、何割使っているのか。半分も使っているか? ……いや、私の場合は最近減らそうという意識があるから半分は使っている。
荷物を減らして、ストレスが減ったと思う人と、あれもこれもと荷物を増やして心安らぐ人もいる。まぁ好きにすればいいか。
随分〝手ぶら推し〟が気弱になって来たが、とにかく手ぶらの開放感を時々味わいたい。スマホひとつ上着のポケットに突っ込んで出かけたい。
何年か前に昼間、友人との待ち合わせで手ぶらを決行したことがある。今思えば、身軽さを満喫しつつ街なかを闊歩する反面、少々手持ち無沙汰、他人の視線も気になりながら結果的にややギクシャクした歩き方になっていたかしれない。
3人が待つ駅近の広場に着いた。男1人、女2人の友人はクスクスと笑いながら、うち1人は
「あれ、何も持ってないの? バックは?」
と言う。
「あっあ〜〜、な〜にも持ちたくない日があるのよ」
と私。
その日は、いつもと違う感覚ながらも身軽な〝手ぶら〟を十分楽しんだ。
最近はというと習慣なのか、ついバックを抱えて仕事なり出掛けるが、重い根菜や酒瓶を買ってしまった帰り道はため息がでる。せめてバックだけは中身を最小限に抑えコンパクトなやつにすればよかったと。
そして、重めの生活必需品はネットスーパーに頼み、目で見ての買い物がしたいときは、ながら(ついで)買い物はせず、買い物だけを目的に現金かカードのみを持ち、動きやすい服装でスーパーが空いている時間帯に済ませる……など、〝手ぶら〟に憧れる私は、日々試行錯誤している。 なかなか思い通りにいかないが。
スマホ 2021.11
長い間、ガラケーと画面サイズ7.9インチのiPadMiniを併用していた。ガラケーは電話とメール、といっても電話は近頃必要最低限の使用になった。ipad はwebでの情報収集とSNSなど。 2つも持ち歩いて重いなぁ、嵩張るなぁと思っていても、電車に乗り隣の人がiPadよりずっと小さいスマホの画面を見ていると、目が疲れそうだとスマホ購入を尻込みしていた。
しかし去年位からガラケーに不便さを感じてきたのだ。ガラケーのショートメールに通信会社からの利用明細などの通知が来て、それをそのままネットを開いて確認したいがガラケー画面は小さ過ぎる、ネットに繋ぐのが面倒でもあり毎回自宅のパソコンに転送し帰宅してから見ていたがそれも面倒になる。そして、もしコロナに感染し、ホテルなどに隔離され経過連絡用に使ったことのないスマホを渡されても困る。スマホは生活にどんどん浸透して来ている。その不安を知人に話すと「iPad使っているんだから大丈夫だよ」と言うが他の知人はipadからスマホに変えたけど使い勝手がよくない、戸惑ったと言っていたし、これから少しずつ歳をとり頭の回転が 鈍くなる前に慣れて置かないと、と少し焦っているのだ。
そして、なんだかんだ迷った結果、3月に遂にスマホを購入した。 最初スマホ画面は、直ぐ疲れるだろうとiPadも持ち歩いていたが、なるべく身軽になりたいと今ではスマホのみ持ち歩くようになった。確かにiPadより目は疲れるので、設定で全体の文字を拡大・太字にして、明るさも調節した。ああ、こうやってスマホに慣らされていくのか。 しかし良いこともあった。電子書籍を買い文字を拡大したら読みやすい。300ページの本が600ページ以上になるけど(笑)。軽くぱらぱらとページが捲れていい。文庫本の文字の小ささが段々私を本から遠ざけていく(まっ、そんなに読むほうじゃなかったけど)……と思っていたので、これは感激と言っていい。 サンキュー! スマホ。
タオル 2021.11
今まで、もし急な入院になったら、急に旅に出ることになったら、 自宅で身体が動かなくなったら…と考えて、タオルや普段着・下着のストックを気にして、 新しく買ったものをその日に備えてクロゼットの奥に押し込んで置いた。
待てよ? そういう考えは以前からなんとなく身に付いていて、 不思議とも思わなかったが何か特別な日を迎えて礼服などは別にしても肌に馴染んでいないものを着たり使ったりするのは緊張感、不安が伴うのではないか。 まして体調不良で熱を出して大量の汗をかき何回も着替えることになったら肌に馴染んでいるものを身につける方が安心するだろう。
新品は、元気な日常で使い初める方がいい。
古着はある程度取っておく。
そしてその日が来たら馴染んだ古着を惜しみなくつかうのだ。 ヨレヨレになるまで着ていたお気に入りのTシャツを肌に付ければ、少しは気持が楽になるはず。 端がほつれていても肌に馴染んだバスタオルを使えばきっと気持が落ち着く。
もう一年半以上つづいているコロナ禍の中、そんなことを考えていた。
食器棚とわたしの行方 2021.9
もう20年も前に中古で買って使っている古くて大きい食器棚を買い替えたくてやっと腰を上げ家具屋に見に行く。
新しい食器棚を買い、今家にあるものを持って行ってもらいたい。正確に言うと持って行ってもらいたいから買いに行く。 webで、持って行ってくれる家具屋をさがす。 隣駅からバスで10分位のところにあるニトリでは、新規で一点買うと、処分してもらいたい食器棚を4400円で大きさが多少違っても引き取ってくれるそうだ。 だか余りにも違う場合はどうなんだろうと疑問は湧くがそこは聞かないでおこう。
そもそもこの食器棚は、今住んでいるところに引っ越して来る前、粗大ゴミに出したかった。 だが粗大ゴミを玄関先に出すという行為が私には難しいのだ。 便利屋さんやら友人やら手伝ってくれる人を探そうかと思っている間に引越しの日を迎え、頼んだ引越会社も家具の引き取りはやらない会社だったので、次の住処に持って来たという次第。
上下に分解出来るが、重ねて高さ186cmある。中間にある引き出しのフタが何回か取れて接着剤で止めている。毎回そっと開け、気を使うのだ。
そして、この食器棚は更なる問題を抱えている。 我が家の台所から居間に向かう通路(ほんの4歩)の壁側にデンと腰を据えており、その通路幅は細身の女性が一人通れる位なのだ。よって私は少し身体を捻って通る。その日々のひねりが左腰・太ももに違和感をもたらされるまでになった。
食器棚よ、もうそろそろお別れしなければと思いながら、もう少し広い部屋への引っ越しを考え始めている私がいる。 嗚呼!
思い起こせば 2021.7
週刊文春を久しぶりに買う。 小林信彦の連載「本音を申せば」が最終回だと知ったからだ。この連載は23年続いたそうだ。 平成10年開始だが、待てよ、私は昭和の時代にも小林信彦さんの連載を読んでいたような気がするが……と思い調べてみたらこの連載は、 「人生は五十一から」というタイトルで始まっていて、ああこれの方が馴染みがある。
でも平成10年? 昭和の時代からというのは私の思い違いか、それとも他の雑誌で読んでいたのか……これは後で調べるとして、 私が東京で働き始めてその給料で好きな事ができるようになり更に10年後、小林信彦さんが雑誌などで書く、 映画や本、喜劇などのコラムが東京での遊びの教科書になっていたように思う。
仕事帰り飲屋に向かう電車の中で読むなどして氏のユーモア溢れるコラムにニンマリとし心安らいでいた。 それから何年も連載を読まなくなってしまったが今でも小林信彦さんのユーモアは、私の身体の片隅にいてくれているように思う。
思い起こせば小林さんの連載を読んでいた時期に並列して好んで読んでいた作家は田中小実昌、色川武大、チャールズブコウスキーなど。 私の父の世代に近いこともあって職種は全くちがつても父と印象がダブル。 「よく働き、よく呑む」。「よく遊ぶ」というのもあるかな? 私にはそう映った。 気付くと私もそれに近い生活になっていた。
時は過ぎ、今では体力もなくなりつつあって、色々な事がほどほどになっている。おっと!しょぼい終わり方ではないか。
『本音を申せば』は本で読もう。
さて何処に座るか
早朝、オープン直後のひと気のないカフェに行きたい。 しかし毎回どの席に座るかかなり迷う。店に入る40歩くらい前から悩む。 最近よく利用する店の前に着き自動ドアが開く。 レジで注文したものが手渡されるまでの時間、私の視線はフロア全体を見渡たしている。 この店は入り口からの1階と半地下、中2階、2階にフロアがありかなり広い。 2階は喫煙可能なので行かず、1階のカウンター席端にさっと座るか、 半地下の隅のテーブルに身を隠すように座るか、 開放感のある中2階でゆったり茶でも飲むかと15秒ぐらいのうちに決めなければ、 変なおばさんと思われそうなのでサッサとスマートに決めたい。
今日は中2階にしようと幅広い階段を登る。しかしこのゆったりとしたゆるやかな階段、 この空間はグランドキャバレーの風格すらある……なんていうのは勝手な想像で、 気になって後でweb検索してみたら以前は若い女性向きの洋服屋さんだった。 その前も気になるがこれくらいにして、カフェの中2階には8人がけの正方形の大きなテーブルが 2つドンと置いてある。その大きなテーブルを囲むように2方向の壁面に2人がけの小さなテーブルがいくつか配置されている。
フロアに誰もいなければ割とサラッと座る位置は決められるが、4、50代の女性が一人中央の大きなテーブルの一角に座っていた。一瞬足を止め、さて何処に座ろうか。彼女の視界に入らない場所は何処だと探る。
私はファミレスや初めて行く飲食店でも先客が数人いれば、先客人全ての視覚を避けられそうなところを見つけようとする。誰も気にしちゃいないよと思うが探してしまう。逆にいうと自分の視界に他人の動きが入らない方が落ち着くからだ。かといって人を観察する興味もある。だからって悪いからジロジロ観ないが。
そろそろ決着を付けないといけないので彼女の後方にあるテーブルへ。真後ろっていうのも、彼女の背に私の視線が刺さって彼女が落ち着かないのではないか(これって気にならない人はぜんぜん気にならないと何十年も生きて来て知ってはいるが……)と気になり斜め後ろ位置に座る。
さてゆっくりブログでも書いてと腰を下ろしたが、今、コロナ感染対策のため換気・空調を強めに効かせているのか天井からの風が少し気になる。ここに1時間半くらい居るつもりなので、風を受けにくい席に移りたい。移るなら直ぐ移らなければならない。しかもチャンスは1回だ。
天井の隅から隅までぐるっと見回し、風を受けにくい席を探す。座る範囲に入れていなかったが階段に隣接していて中2階フロアからつきでた5席程のカウンター席があったので、そこなら風を避けられそうだとさっと移る。完璧だ。席に座ると一階がほぼ見下ろせる。 従業員カウンターで働く彼ら彼女らの姿が見える。若い人たちが働く姿を見ているのは実に気持ちいい。さて1時間25分ゆっくりするか。[2021.3 記述]
仕事が好きということと向いているかということの問題と、仕事をしない生活を想像してみる。
「私は仕事が好きなんですよ」と何度か友人や仕事仲間に言ったことがある。「好きなんですよ」の前には「割と」や「結構」を付け加えたり「嫌いじゃないんですよ」と目の前の相手によってはやや抑え気味に言ったりする。仕事は面白くもつまらなくもある。つまらない方が多いかもしれない。だが生活のための仕事でもあるというのが大前提だとしても割と好きだと思える。好きだという理由を挙げてみる。
1、出来なかったことができた時の満足感がある。
2、まとまった仕事が終わった時、開放感を感じられる。
3、仕事に没頭していれば日常の細々したことを考えなくて済む。
とここまで書くと「仕事が好き」ということは職種はあまり関係ないといえる。 長い間携わり現在も続いている書籍などの印刷物前工程であるDTPの仕事が私に向いているかというと未だに疑問だ。物心ついた時から体力に自信(思い込みかもしれない)があり身体を動かす事が好きで将来、座り仕事を選ぶなどとは考えもしなかった。
高校卒業したら体育大学という選択も考えたが、一方で印刷物やカメラにも興味を持っていたので東京の大きな印刷会社に就職した。現在の仕事はこの辺からの出会いからだ。私としてははっきりと目指すものは見つからず現実的なところに収まったといえる。
幾つかやってみたい職業はあってもそこに飛び込む勇気がなかった。根性なしの挫折の連続だ。そして歳をとって、仕事は自分に向いているか疑問に思いながらも続けていくといい事もあると思うようになる。そうだ、いい事もあると思いながら続けている。そして最近は仕事以外やってみたい事(趣味の範囲だが)にも自分に向いていようが向いてなかろうが、少しづつやってみる。
たとえ向いてなくともやって見た方がいいと思うようになる。ああでもないこうでもないと楽しみながらやる。 それがいい、その方が人生楽しめるのではないかと思う。年老いて仕事をしない生活は、今の私には想像しにくい。もちろん大病してやむを得ずリタイヤしなければならなくなる場合もある。その時は、病気を治すことを仕事としよう。ベットの中で「治ったらあの仕事かずけて」とか「今度はどんな仕事が出来るか」と想いを巡らすのだ。たとえ叶わなくとも。大病していたらそんな余裕もないさと言われそうだが……。 おわり。 [2021.5 記述]
開かないレジ袋
先月スーパー・小売店のレジ袋が一斉に有料になった。 まえから厚手の買い物用ビニール袋をバックに常備していた私(エコ意識が少し頭にある)にとって、考えてみるとこのコロナ禍で何回も使う袋は不衛生だ、スーパーからもらう、あるいは買う(すでにレジ袋有料のスーパーもあった)かに切り替えるかと考えていた矢先のレジ袋いっせい有料化だった。
むむむっ…これは、去年消費税が10%になり、今回のレジ袋有料化でさらに消費税が1%くらい上乗せされたような気分になるではないか!?。 であるからセコいかもしれないが5円くらいのレジ袋代を回避したい気持ちが湧いてきて”袋はバックに常備”する状態に戻る。しかしたまにその袋を忘れて5円のレジ袋を買うのだが、もう1つの憂鬱、精算を済ませ、詰め込みカウンターで真新しい開け口がぴったりくっ付いた袋を開けるのに一苦労する。
スーパーはこのコロナ禍で、袋をうまく開けられない人のために置いてあった濡れたおしぼりも置かなくなった。嗚呼、私の指先は乾ききっている。後から来て隣で袋詰をする人は、私より先に帰っていく、ひとり、ふたり……と去っていく。さっきからずっとチマチマ袋開けと格闘している私。そしてレジ袋にはお金を払っているという事実が私のイライラを倍増させる。
仕事帰りにぐったりとなる。私が鈍くなっているだけなのか……。そういえば何年か前、あるスーパーでレジ袋を目の前でスパッとあけ、カゴの一番上にふんわりと載せてくれたスーパーレジ嬢がいた。実にかっこいい。そんな「スーパーレジプロ」にまた会いたいものだ。もひとついえば、レジ横に吊るされている有料レジ袋を一枚取った瞬間に口がパカっ!とあくようなしくみになってくれないだろうか、切に願う。そうだ!「くちパカレジ袋」というようなものを考案すればいいのだ![2020.8 記述]
やる気満々? の美容師
人物:君子(女性客)47歳/ユキ(女性美容師)23歳
[2020年作]#コント
○小さな美容院(昼)
君子は、促されるようにシャンプー台に上り天をみる。
やわらかいガーゼが眼を覆う。
心地よい時間の始まりだ。
ユキ「お湯加減は、大丈夫ですか?」
君子「はい」
シャンプーの泡がやさしく君子の頭を包む。
ユキ「どこか、痒いところはありませんか?」
君子、顔のガーゼをパフパフやりながら
君子「特にないです」
ユキ「チカラ加減は大丈夫ですか? 痛くないですか?」
君子「(適当にやってくれればなあと思いつつ丁寧に)あっ…はい、ちょうどいいです」
ユキ「はい ! ありがとうございますぅ〜」
ユキ、張り切って君子の頭をゴシゴシ洗いだす。
君子「(い、いま、丁度いいと言ったのになんで〜)」
君子の身体がシャンプー台の上で波打つ。
てっぱん
人物:男50代/女30代/少年(テレビからの声)
[2018年作]#コント
○居酒屋、鉄板焼の店(夜)__1990年代の東京。
カウンターには、お互いひとりで来ている常連客ふたり。
店の角、天井に程近い場所に設置してあるテレビでは
日本語吹替え版の洋画が放映されている。
カウンターのふたりが終盤を迎えた映画に集中する。
男「最後のセリフ、なんて訳すんだろうね」
女「そりゃ、そのまんまでしょ」
映画のラストシーン、テレビから聞こえる少年の叫ぶ声。
少年「シェーン! カムバック!」
女、勝ち誇ったように男の顔を見る。